未来日本昔話:再掲33(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月二十三日 水曜日)2

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,299通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

お天道様、今日も良か日にしますけん観とってください
  
   もうアホらしいから本当に大切な時にしか石破のことを書くのはやめます。自分までがダメになりそうです。

  平成二十二年(2010年)二月二日に書いた記事です。修正を加えず当時の記事を修正せずにそのままを書きます。

  日中歴史共同研究はほんとうにひどい結果に終わりましたね。あの委員の方々は万死に値します。ますます、自虐的マゾ国家になります。中国はもっとひどい。以前、この未来日本昔話で、おばあちゃんとまさる君が、歴史共同研究の愚を話し合いましたが、その通りの結果となってしまいました。本当にこんなことをやっていたら、日本はつぶれます。昨日の朝鮮に対する政策をみてもわかると思いますが、日本は朝鮮に対して、ひどいことはしていません。もし、あの時、日本が救わなかったら、朝鮮半島には国家が存在しなかったのです。

 さて、時は2100年。日本はつぶれてしまっています。今日は、満州のことについて、おばあちゃんとまさる君(10歳)が話し合います。
「おばあちゃん、今日は満州についてだね。中国が日本の傀儡政権だった満州は地獄だったと言っているけど、ほんとう?」

「まったく、好き勝手なことを言っているわね。言論の自由が無い、歴史教育を捻じ曲げる不埒な独裁国家 中華人民共和国なんて、ほんとうのことよりうそのことの方が多いのさ」
「そうなの?」

「もし、満州が地獄なら、満州国成立後に中国から年に百万人もの人が万里の長城を越えて満州に着たりしないよ。良い国だったから、飛躍的に人口が伸びたのさ」
「へー」

「それに、工業も盛んになってね、戦闘機も生産するし、鉄道も、世界最速のアジア号超特急が走るようになったんだよ。王道楽土とはまさに満州だったのさ」
「なんか学校で習うことと全然違うね」

最後の皇帝溥儀の家庭教師だった、ジョンストンという人が書いた、「紫禁城の黄昏(たそがれ)」という本を読んでごらん。満州に対する本当の歴史がわかるよ。たしか、おじいちゃんの本棚にあったはずだよ」
「うん、読んでみる」

「そもそも、満州の地は清朝発祥の地として、十七世紀から中国を征服後、どんどん中国から移民が増えたの。それまでは、女真族とうい清朝のもととなった民族しか住んでいなかったの。満州国建国当時は、約三千万人前後、満州国が崩壊したときは、五千万人にも達していたんだよ。忽然として、中国東北部に近代産業国家が誕生したんだ。その工業力は、中国の工業力の約90%に達して悼んだよ」

「すごいね」
毛沢東がね、『かりに中国本土すべてを失っても、満州さえあれば』社会主義革命は成立するとか語ったほど、満州の国力はすごかったのさ。中国は、その後、この満州国の遺産を食い潰しながら、国家を建設したの。今は見る影もないからね。社会主義の国は、生産ということではなく、誰かのものを奪って食いつぶすことが得意なのさ」

「満州事変は?」
「おやおや、よく勉強しているね。リットン調査団の報告書もおじいちゃんの本棚にあるから読んでごらん。一概に日本が悪いって書いていないよ」

「そうなんだ。じゃあ、今の教科書って何? 変だよ」
「だから、国が潰れたのさ。歴史の認識って大切だろ?」
「うん。これで、日本の三国に対する政策がわかった。植民地じゃなかったんだね。台湾と朝鮮は日本の国にした。それも、国内の税金をおしみなく投入して。満州は植民地でなくて、独立国家。日本はやっぱりすごいや。歴史をしっかりと勉強しないと。マスコミの言うことは信じないようにしないと」
「そうだね。明日からは日米開戦など、大東亜戦争について、少しずつ話そうかね」「

「うん! 楽しみだね、おばあちゃん」
「じゃあ、良い子だから、おやつにしよう。今日は、神戸の三宮にある、オールド・香港・チャイニーズという店の月餅とごま団子だよ」
「その店テレビでみたことがある。飲茶で有名なところだね。いつか、おばあちゃんと行きたいな。いっただきま~す。おいしい、おいしい」
「よかった。いつか一緒に行こうね」

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このページは、宝徳 健が2025年7月23日 04:58に書いたブログ記事です。

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