千年企業❽金剛組7(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月二十八日 月曜日)2

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,307通目です(後で数えなくていいように)。

このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushi


                    お天道様、今日も良か日にしますけん観とってください

金剛組のルーツは敏達天皇七年(西暦578年)に遡り、これが同社の世界で最も長く存在する企業として位置付けています。その創業は多くの国家や主要な世界宗教の成立よりも古く、その歴史的深遠さを示しています。  

 繰り返します。千年企業は、まさに不易流行(不易流行:永く続く大切なものをしっかり守り、新しいことを取り入れる)という我が皇室の精神と申し上げました

  新しいものを取り込むときは、不易を徹底的に検証することが大切です。不易と流行は分離するものではなく、積み上げてきた歴史である不易と新時代からやってきた流行が流れを一(いつ)にすることを当事者たちが創っていくことだからです。

 例えば、538年に支那大陸から漢字が我が国に伝来しました。しかし、皇室は漢字を400年間〜500年間使いませんでした。

 我國の在り方と新しい漢字の流れが一(いつ)になる
「万葉仮名」ができるまで。

すみません。この最初の部分はとても大切な肝なので、毎回書きます(初めて読まれる読者も多勢いらっしゃるので)

 このブログの中で何回か「欧州でも国家の概念ができたのはこの三百年〜五百年」と申し上げました。それまでは? 確かに存在はその何百年前からありましたが、所詮は貴族の「うしはく(すべて自分の所有物にするという支配形態)」でしかなかったのです。それが三百年〜五百年に国家として目覚めて、第一次世界大戦で固まりました。

 さて、今日の金剛組です。

2005年の経営危機と再生への道

   比類なき長寿を誇る金剛組も、2005年には深刻な経営危機に直面し、倒産の危機に瀕しました 。  


  この危機の主な原因は、日本のバブル経済期に、伝統的な「儲けすぎるな」という哲学から逸脱したことにあります 。


   これにより、同社は高コスト体質となり、バブル崩壊後の市場競争激化、特に一般建築プロジェクトにおいて、その体質が持続不可能となりました 。


  さらに、取締役会が一度も開催されず財務状況の把握が不明確であったなど、適切なコーポレートガバナンスの欠如も危機に大きく寄与しました 。 

 

  この窮地に対し、同じ大阪の建設会社である髙松建設が、決定的な財政的・経営的支援を申し出ました 。この介入は、単なる経済的相乗効果だけでなく、「金剛組を潰したら大阪の恥や」という強い思いと、その独特の歴史と職人技を後世に残したいという深い願望に突き動かされたものでした 。髙松建設自身の「堅実経営」と潤沢な手元資金が、この支援を可能にしました 。  


  2006年、金剛組は髙松建設の傘下に入り、営業権を譲渡することで、その歴史的な名称と遺産を細心の注意を払って保存しつつ、事実上の再出発を切りました 。  


  2005年の危機は、深い逆説を明らかにしています。「儲けすぎるな」という哲学への遵守は、長期的品質と評判を育む強みであった一方で、それが放棄された時には、持続不可能な高コスト体質と競争力喪失という致命的な弱点となりました 。


  髙松建設による救済が、純粋な経済的相乗効果ではなく、文化財保護と地域への誇りによって動機づけられたことは、金剛組の遺産に社会全体とビジネスコミュニティが置く計り知れない無形価値を浮き彫りにしています 。


  これは、一部の企業にとって、その「ブランド」と「価値」が従来の財務指標をはるかに超えることを示唆しています。


  この出来事は、金剛組の存続が国家と文化の誇りの問題となり、特定の企業が従来のビジネスロジックを超えた独自の社会的意義を持つことを示しています。金剛家が象徴的な存在として残り、髙松建設の財政的・経営的支援を得た新たな企業構造は、現代の経済的課題に直面しながらも古代の遺産を保存するための現代的なハイブリッドモデルを体現しています 。


  また、これは、


核となる哲学的原則から逸脱することの危険性


を示す戒めともなっています。  


経営とは 哲学なりと 偉大なる 経営者たち 姿で魅せる

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このページは、宝徳 健が2025年7月28日 04:19に書いたブログ記事です。

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