さて、前回の続き。蘇秦と張儀の話の続きからです。 蘇秦を怨んでいた張儀ですが、それは、蘇秦のはからいだと知ります。蘇秦は、誰か心を通じる人間を秦に送りたかったのです。それは合従連合を成功させるためでした。張儀は蘇秦の生きている間は、その恩を徳として、合従連合を切り崩しませんでした。合従連合 に対抗する言葉が連横論です。秦が一対一で各国と付き合うというものですが、張儀は、蘇秦が生きている間は、この連横論を展開しませんでした。
さて、今日から新しいお話です。「息壌(そくじょう)の戦い」です。
「周の王室をおさえるために、韓の宣陽(ぎよう)を通って三川(さんせん)まで車道をつくりたい。そうすれば、我が亡きあとも秦は安泰だ」
学校で習いましたよね。殷-周-秦-漢-三国・・・・と。
殷は、紂王の時に滅んでいます。最初は善政を敷いていたのですが、妲己(だっき)という無茶苦茶綺麗な、そして無茶苦茶残酷な女性をもらってからはもう目も当てられなくなり、周の武王に滅ぼされました。殷の栄枯盛衰を書いた横山光輝さんの「殷周伝説」という漫画は最高に面白いですよ。
周の参謀は有名な太公望です。「喧嘩をしてはいけません」の男の子たち読ませたい、戦略書六韜三略(りくとうさんりゃく)という本を書いたことでも有名です。漢の高祖 劉邦に天下を取らせた名参謀 張良は、この六韜三略を誦じていたと言います。誦じてはいませんが私も読みました。現代にも役にたつ書です。
その周は、約700年(だったっけな)、続きます。でも、春秋戦国時代の末期にはもう息も絶え絶えです。周は息も絶え絶えで力はありませんが、権威はありました。周を押さえることは春秋時代には大切なことでした。でも、秦からそこに行くには韓が邪魔になります。甘茂が答えました。
「魏に行って、韓を討つように工作してきます」
王はお気に入りの向寿(しょうじゅ)を副使として従わせました。魏に着くと、甘茂は向寿に言いました。
「さきに帰って、王に「魏は甘茂の申し入れを聞きました。しかしまだ韓を攻めぬうように」と申し上げてほしい。この仕事が成功すれば、手柄は全部あ なたに進呈するから」
向寿は帰国してそのように王に言上しました。王は息壌まで甘茂を呼び戻し、さっそくそのわけを尋ねました。
ここからの甘茂のもっていきかたが絶妙です。企業においても活用できます。明日からをお楽しみに。
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