千年企業❾金剛組8(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月二十九日 火曜日)3

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,311通目です(後で数えなくていいように)。

このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushi
金剛組のルーツは敏達天皇七年(西暦578年)に遡り、これが同社の世界で最も長く存在する企業として位置付けています。その創業は多くの国家や主要な世界宗教の成立よりも古く、その歴史的深遠さを示しています。  

 繰り返します。千年企業は、まさに不易流行(不易流行:永く続く大切なものをしっかり守り、新しいことを取り入れる)という我が皇室の精神と申し上げました

  新しいものを取り込むときは、不易を徹底的に検証することが大切です。不易と流行は分離するものではなく、積み上げてきた歴史である不易と新時代からやってきた流行が流れを一(いつ)にすることを当事者たちが創っていくことだからです。

 例えば、538年に支那大陸から漢字が我が国に伝来しました。しかし、皇室は漢字を400年間〜500年間使いませんでした。

 我國の在り方と新しい漢字の流れが一(いつ)になる
「万葉仮名」ができるまで。

すみません。この最初の部分はとても大切な肝なので、毎回書きます(初めて読まれる読者も多勢いらっしゃるので)

 このブログの中で何回か「欧州でも国家の概念ができたのはこの三百年〜五百年」と申し上げました。それまでは? 確かに存在はその何百年前からありましたが、所詮は貴族の「うしはく(すべて自分の所有物にするという支配形態)」でしかなかったのです。それが三百年〜五百年に国家として目覚めて、第一次世界大戦で固まりました。

 さて、今日の金剛組です。

3章:不朽の精神 - 「職家心得之事」

32代目の知恵

 金剛組の永続的な哲学と運営指針の核心は、16の明確な教えからなる「職家心得之事(しょくかこころえのこと)」に集約されています 。  


  これらの原則は、32代目当主・金剛喜定によって、彼の「遺言書」の中で正式に記録されました 。この明文化は、喜定が再建に尽力した1801年の四天王寺大火災の直後、1802年頃に行われました 。この時期は、これらの原則が大規模な危機への直接的な対応として、将来の世代が同様の逆境を乗り越えるための指針として意図されたことを示唆しています。


  喜定の詳細な建築図面や見積書が、彼の「遺言書」や金剛家の長い系図と共に保存されていることは、金剛家が技術的知識と倫理的知恵の両方を世代を超えて細心の注意を払って保存してきた姿勢を強調しています 。  


「職家心得之事」が、大規模な再建期(1801年の火災後)に「遺言書」として正式に成文化されたことは、蓄積された知恵を抽出し、制度化し、将来の世代に効果的に伝達しようとする意図的かつ戦略的な努力を示しています。


  これは、大きな危機が単なる苦難の時期ではなく、内省、核となる価値観の明確化、そして学んだ教訓の形式化のための重要な触媒として機能したことを示唆しています。これらの原則を書き記す行為は、一時的な経験を、会社の長期的な存続と繁栄のための具体的で永続的な指針へと変えました。


  逆境から深く学び、その教訓を明確で実行可能な原則を通じて体系的に制度化するこの実践は、金剛組の驚くべき長期的な回復力において、しばしば見過ごされがちな根本的な要因です。これは、技術的なスキルを超えて、組織そのものを含む知識管理への積極的なアプローチを実証しています。


  よく「事業承継をどのようにすればいいか」という相談があります。でも、まず「事業承継」と表現していることが間違いです。中小企業はどうしても「事業」が多忙のため「経営」をおろそかにしがちです。


 金剛組のような経営者の深い造形は、これ自体が「企業承継」なのです。なので、まずやるべきは歴史DD(デューデリジェンス:精査)です。


承継とは 良いこと引き継ぐ ことでない 苦し経験 これを知ること

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このページは、宝徳 健が2025年7月29日 04:38に書いたブログ記事です。

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