トカラ列島(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)七月五日土曜日)

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,242通目です(後で数えなくていいように)。
このインタビュー記事を読んでくださると、私の今の仕事がよくわかります。


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読売新聞記事より(オンライン)
 
  情けない人間が政権を担当している時には、大災害が起きると言われています。村山政権然り、菅政権しかり。

 村山政権は、彼のイデオロギーを優先して首相の使命を果たしませんでした。阪神淡路大震災の時、いち早く米軍が支援を申し出たのにそれを断りました。

 兵庫県知事は、貝原俊民(かいはら としたみ)です。当時は、知事の要請がないと自衛隊は出動できません。貝原はあとで色々言い訳して自己保身を図っていますが、出動要請を長時間しませんでした。自衛隊は完結組織です。食事・風呂・医療・給水等の支援が全て可能になっています。かててくわえて、あの優秀な練度の高い兵たち。世界に類がありません。早くそして速く貝原の出動要請があったらあんなにたくさんの人たちは亡くならなかったでしょう。半分人災です。「貝原人災」。

 当時、陸上自衛隊伊丹駐屯に私のいとこがいました。工兵です。地震が起きた時にすぐに陸上自衛隊第3師団の師団長(司令)は浅井輝久陸将は、出動準備命令を出し、隊員たちは即座にそれに応えました。しかし、待てど暮らせど知事からの出動要請がありません。浅井陸将は車などの支援物資の分解命令を出し、隊員たちはそれを担いで神戸に向かいました。

 メディアは、会見で司令を責めます。「なんでもっと早く出動しなかったんだ!」と。メディアもバカです。軍隊はサイレント・アーミーなです。軍人は一切の言い訳をしません。

  浅井陸将は目に涙をいっぱい貯めていました。さぞ、無念だったのでしょう。

   東北大震災の時は民主党の菅です。あまりにも愚かな対応をしました。これも半分人災です。

  今回は、石破です。何かが起きそうで怖くてたまりません。

 閑話休題。恥ずかしながら私はトカラ列島のことをあまり知りませんでした。

  地図では上記のとおりです。トカラ列島は、十島(としま)村(人口732人)の行政区域にあります。有人7島(口之島、中之島(、平島、諏訪之瀬島、悪石島。小宝島、宝島)、無人五島からなります。

 主要な産業は、畜産業(肉用講師の生産)、農業(とから琵琶など)、花卉(かき:サンセベリア)、その他(サツマイモ、スイカ、タロイモ、島ラッキョウなど)、漁業(素晴らしい漁場だそうです)、観光業(てつかずの自然や温泉、透明度の高い海、ダイビングや釣り)。ただし観光は事前によく計画を立ててからでないと、観光インフラが整っていないのだそうです。

   住民の皆さん、ご不安でお過ごしのこととお見舞い申し上げます。 大災害に至らないことを心から祈っています。2週間で何万回もの地震・・・。政府の無策・・・。

途切れなく 大地が揺れる 島々の 不安先立ち 眠れぬ夜も

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このページは、宝徳 健が2025年7月 5日 01:55に書いたブログ記事です。

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