ちなみに、直前の元号は686年にわずか2か月だけ使われた「朱鳥(しゅちょう)」で、その後701年に「大宝(たいほう)」が制定されるまでの約15年間は、元号が使われていない珍しい時期でした。
この時代は飛鳥時代の終盤で、律令制度の整備が進められていたころです。歴史の空白に見えるこの期間も、実は大きな転換期だったりします。
さて、七夕の織姫と彦星ついて。 久しぶりに面白く博多弁で。
むかしむかし、天帝という神様が星空を支配しとったげな。そのころくさ、天の川の西の岸に、織女(しょくじょ)という天帝の娘が住んどったったい。織女は、機織(はたおり)がほんなごつ上手でくさ、彼女の織った布は雲錦って呼ばれとったとたい。色もきれいでくさ、丈夫やし着心地もよかったけん、みんなに人気があったったい。すごか~。
それでくさ、もう一方の東の岸にはくさ、牛飼いの青年、牽牛(けんぎゅう)が住んどったったい。牽牛は、毎日、天の川で牛を洗って、おいしい草を牛に食べさせよったとよ。よ~う牛の面倒ば見る働き者のよか青年やったったい。
天帝はくさ、毎日働いてばかりいる娘ば心配しよんしゃったと。はよ、婿さんば見つけて嫁にやらなと、あせりよったったい。そやけんくさ、川の向こうに住んじょる、牽牛をひきあわせようとしよんしゃった。
天帝「おまえたちふたりは、よう働くけん、結婚しやい。牽牛、うちの娘ばもろうちゃりやい」
牽牛「そげんこつ、夢のような話があってよかとやろうか。すいまっしぇ~ん。ありがとうございます」と言って織女をもらい、ふたりはめでたく夫婦になったと。
ところがくさ、夫婦になったとたん、仲のよすぎて、朝から晩までいちゃいちゃして働かんくなったげな。天帝は、怒ってくさ
「なんばしよっとね! 仕事ばせんね! 働かんね!」 と叱ったばってん、ふたりは「わかっとっちゃ、明日からやるっちゃ」と答えるばかりで、いっちょん働かんったい。
織女が布を織らんくなったけんくさ、機織機はホコリのすごかとたい。天界には新しい布がのうなってしもうたと。牛もくさ、牽牛が面倒みんもんやけん、やせて倒れてしもうたったい。
天帝は、怒ってしもうて、ふたりを離してしもうたと。ばってん、離してずっと会えんかったらかわいそうやけん、一年に一度、七月七日の日だけ天の川をわたって逢うことを許しんしゃったったい。よか話しばい。
【所感】
星空をみてこんな説話をつくる昔の人は素晴らしいですね。科学技術が発達して私たちにはこんな創造性がなくなってしまってちょっと悲しい。
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