千年企業⑭:慶雲閣(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月五日 月曜日) 2

| コメント(0) | トラックバック(0)
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,335通目です。

お天道様、今日も苦しみながらこの十二箇条を達成します


 今日から、世界一古い宿泊業で世界で三番目に古い慶雲閣です。私はまだここに行っていません。行くのが楽しみです。早く計画立てないと。


  コンサルタントとして結構やっかいな業種の中の一つに「固定費比率」「固定資産比率」が高いところがあります。旅館とか病院ですね。損益分岐点が高くなるのです。固定費比率や固定資産比率が高いと少し売上が悪くなるとすぐに赤字になります。その中も旅館は、板前さんの問題(詳細割愛)等も含めていろいろあるのですよね〜。


  慶雲閣はその中でどうやってやって千年続いているのだろうかと不思議でなりません。今回、それを解き明かしましょう。


慶雲館に息づく長寿の哲学:「家訓」を超えた「不易流行」の精神


はじめに:長寿企業に息づく「家訓」の探求

  日本の長寿企業は、その驚異的な存続期間を通じて、独自の経営哲学や倫理規範を育んできました(その根は不易流行にあるのは同じですが)。例えば、世界最古の企業とされる金剛組は、聖徳太子十七条憲法に倣った明文化された家訓を有し、それが組織の精神的支柱となってきたと伝えられています。


  もう一つの世界最古の宿としてギネス世界記録に認定されている慶雲館に、金剛組のような明確な「家訓」が存在するのか、あるいはそれに代わるどのような精神的基盤が、1,300年を超える歴史を支えてきたのかを探求してまいります。慶雲館の歴史を紐解き、その運営を支える核となる哲学、すなわち「温泉力」と「おもてなし」の精神、そして現代の当主が語る継承への思いを深く分析し、金剛組の家訓と比較しながら、慶雲館独自の「不易流行」の精神がどのように形成され、機能しているかを考察します。


慶雲館の歴史と「世界最古の宿」としての継承

  慶雲館は、日本の長寿企業の象徴であり、その歴史は飛鳥時代にまで遡ります。その起源から現代に至るまでの道のりは、幾多の困難を乗り越えながら、一貫した価値を継承してきた証でもあります


開湯と創業の起源

   慶雲館の歴史は慶運二年西暦705年:創業1302年の歴史)に藤原鎌足の長男である藤原真人がこの地の温泉を発見し、開湯したことに端を発するとされています 。なので、慶雲閣す。歴史そのまま間の名前ですね。以来、この温泉は千年以上一度も涸れることなく湧き続け、都人、武田信玄や徳川家康といった名将、そして多くの文人らに愛されてきました 。温泉の発見者については、藤原真人の息子である四郎長麿・四郎寿麿兄弟による発見説も存在しますが、いずれにせよ飛鳥時代からの長い歴史を持つことは共通しています 。


  この世の中に奇跡を起こして千年企業を創造するためには、やはり、世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我が国日本の統治者 皇室の歴史と同じようにしなければ実現しないのでしょうね。


 ちなみに君臨それども統治せずという訳のわからない言葉がありますが、我が皇室は「統治すれども君臨せず」です。前者の言葉を言う人は「統治:我が国体 しらず」と「君臨:うしはくという支配形態」を完全に取り違えています。


  では、明日から信じられないぐらい田舎にあるこの経営が難しい「宿泊施設」宿泊施設が続いているかを解明していきましょう。


はるかなる 一千年と 言う時が 世界企業の 姿を遺す

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10251

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年8月 5日 03:03に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「新しいドメイン(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月五日 火曜日)」です。

次のブログ記事は「未来日本昔話:再掲46(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月五日)3」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。