千年企業⑪:池坊1(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月二日 土曜日)3

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,325通目です(後で数えなくていいように)。

  私は今日の今日まで、慶雲閣が世界で二番目に古い企業と思っていたのですが、違いました。調べたら池坊華道会でした。今日からシリーズで、池坊稼働会を書きますね。

  池坊華道会は、用明天皇二年(587年)に聖徳太子が六角堂に仏様を祀ったことに端を発し、その後1438年の歴史を積むんでいます。世界で二番目に古い企業とされています。その歴史は、仏前供花から始まった「いけばな」を、室町時代には芸術へと昇華させ、江戸時代には大衆文化として普及させました。その根底には「いけばなは心の花」といいう一貫した理念があります。戦乱や時代の変という苦難を乗り越えながら、歴代の当主たちは、日本の美意識や精神性を深く取り入れ、常に新しい表現を模索することで、いけばなをを単なる伝統文化ではなく、時代と共に進化する芸術をして継承してきました。まさに不易流行ですね。

⚫️創業期
  頂法寺は、京都の下京区にあります。聖徳太子が建築資材を探しているときに霊告を受け、聖徳太子が建築資材を探しているときに霊告を受け、六角道を建立しました。この御堂に如意輪観音を祀り、毎日供花を捧げました、この供花を管理するために、小野妹子を住職にしました。小野妹子は六角堂の畔にあった池のほとりに住んでいたことから「池坊」と呼ばれるようになりました。これが池坊の歴史の始まりです。

 この時期のいけばなは、「仏様への供養の心」がその根幹にありました。美しさよりも、仏様への敬意を織り込めることが最も重症視されました。

  ちなみに、聖徳太子は、淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏にしていました。聖徳太子は、用明天皇2年(587年)に四天王寺建立の木材を求め、京都盆地を訪れました。聖徳太子が池で身を清めるにあたって、念持仏を木にかけたところ、動かなくなり、この地に留まって人々を救いたいと聖徳太子に告げました。だから聖徳太子は六角堂を建ててこの念持仏を安置しました。

 すごい事実でしょ。でも千年企業は池坊華道会でも、きちんと日本の歴史に寄り添っているのですね。明日からそれを書きます。


皇室の 国を創るは 唯一の 世界の奇跡 不易流行

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このページは、宝徳 健が2025年8月 2日 04:13に書いたブログ記事です。

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