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敷島の 大和心を 人問はば 千年企業の 在り方にあり
これまで、千年企業の凄さを5社と1地域で観てきました。どの会社も得心のいく千年でした。千年企業とは、
❶真剣に自分たちはいつもまでも続くということをほんの少しも疑っていない
❷核となる「家」がある(上場していない)
❸核となる「家」または「地域」が常に継続に関してのリーダーシップを保持している
❹他者の支配を受けていない(行政・金融機関を含む)
❺不易流行が恐ろしく実践されている(流行を安易に行わず不易と一つの道を創る)
❻皇室の在り方が背骨にある
❼外部要因の危機を何度も乗り越えている
❽内部要因の破綻を一度は味わってい
(EPV8:Eternal Principle Value8:8つの普及の原則価値と呼びます)
昨日は❶を解説しました。 今日は❷です。
出光興産株式会社の創業者 出光佐三店主が「資本金はゼロを以て理想となす」とおっしゃっています。つまりフリーダムです。愚かな私は当時、「上場したら資金調達のコストが安くなるのになあ」と、短期的な利益を追求する発想をしてしまいました。これを「フリーダム(自主独立経営)」と言います。つまり徒党を組むのではなく、孤高を楽しめと言っているのです。出光興産第二の定款と言われている「真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える」と言うのは、「世の中という濁流の横に一本の小さな清流を作れ。そして、濁流を流れる人間たちにあちらの清流にいきたいと思わせろ。それが出光の働き方だ」という意味です。今でも出光OBから「出光理念を学ぶ会に参加しないか。こんな素晴らしい理念をのこさないわけにはいかない」とお誘いを受けます。恥ずかしくて仕方がありません。徒党を組めとは佐三店主は教えてないはずです。
我が母校慶應義塾も福沢諭吉先生は、「独立不羈」とおっしゃっています。なのにOBたちは「三田会」を作っています。よく誘われるのですが私はどの会にも参加していません。福澤先生はも徒党を組めとは教えていません。孤高でいろです。独立吹です。
楽しむとは(かぐや姫の記事でも申し上げましたが)、困難を乗り越えた時に初めて感じることができるものです。楽とはまったく別物です。この徒労は自分たちを楽にしようとしているだけではないでしょうか?
まさに国際機関のおざなりな徒党を組もうとするSDG'sの条項ではなく、千年企業に通じるものです。佐三店主は創業十年でこれを見つけたと店主室教育(かつてやっていた出光の理念教育)の本に書いてあります。佐三店主は永遠の企業を確信したいたのでしょう。これらの言葉を聞いた時「えらい喧嘩をふっかけられたな」とか「すごいなあ」とか思いましたが、恥ずかしながら、佐三店主の「永遠に」と言う思いには気づいていませんでした。忸怩たる思いです。して、その核となるのは「出光家」であり、影響力が他から及んでは絶対にダメなのです。最も遺された出光家はそれをサボりましたが。悪党は「悪はすぐに徒党を組もうとする」からその名前があります。善党と言う言葉はありませんよね。孤高は徒党を組みません。
これまでの千年企業は、まさにこのフリーダムです。では、これまで見て来た千年企業をEPV8の❷の観点から振り返りましょう。
金剛組 言わずと知れた世界最古の企業です。敏達天皇(まだ元号はありません)(西暦578年)の創業以来1400年以上の歴史です。 同社の経営の根幹を成すのは、32代目当主・金剛喜定によって明文化された十六の行動規範「職家心得之事(しょくかこころえのこと)」です 。この家訓は、聖徳太子が制定した「十七条憲法」の精神と驚くほど多くの共通点を持っており、古代の知恵と現代に続く企業実践が融合した独自の経営哲学を形成しています。 そして金剛家が、その「織家心得之事」をしっかり守って来ました。
坊華道会
聖徳太子は、淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏にしていました。聖徳太子は、用明天皇2年(587年)に四天王寺建立の木材を求め、京都盆地を訪れました。聖徳太子が池で身を清めるにあたって、念持仏を木にかけたところ、動かなくなり、この地に留まって人々を救いたいと聖徳太子に告げました。だから聖徳太子は六角堂を建ててこの念持仏を安置しました。千年企業は池坊華道会でも、きちんと日本の歴史に寄り添っています。そして家は「池坊」です。俗にこう言う家は「利権化」しやすいのが常識です。しかし千年企業で家元制度が利権化したら千年も続いていないはずです。
家元制度の利権化は
・求心力の低下: 門弟は、単に技術を学ぶだけでなく、その流派の理念や精神に共感して集まります。家元が私的な利益を追求するようになれば、その精神が失われ、門弟の信頼を失い、流派の求心力が低下します。
・技術・精神の陳腐化: 利権が優先されると、新しい価値の創造や技術の研鑽が疎かになりがちです。時代に合わせて変化できず、社会から取り残されてしまうリスクが高まります。
池坊華道会が長く続いているのは、家元が「文化の継承者」としての責任感を強く持ち、目先の利益よりも流派の存続と発展を優先してきたからと考えられます。門弟も、単にお金で技術を買うのではなく、家元が示す理想や生き方に従うことで、自己の精神性を高めることを重視している側面があります。
このように、家元制度は外から見ると不透明な部分が多いかもしれませんが、内部では「流派の永続」という共通の目標のために、ある種の自己規律が働いていると言えるでしょう。この相互の信頼関係と共通の理念が、利権化を抑制し、伝統を未来へとつなぐ原動となっています。
我が国でもそうです。短期歴な利益も大切ですが、日本人一人一人が陛下が実践されている「国体しらす」との戦いのように文化を継承するという意識を強く持てば国も必ずよくなるはずです。私の一生の思いの「利権団体を全て潰して楽市楽座を創る」というミッションも達成されます。TikTokのドラマを見ると、自己保身のために、常に「権力」「金」「暴力」「破壊」が偉いと言う支那共産党の価値観が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ:思うままにのさばり勝手なふるまいをすること)が横行しています。その支那共産党が今、私の大好きな我が国を侵略しようとしています。例えば、今回、東北大学が支那人が留学したい制度を作りました。これで支那人はほぼフリーパスで東北大学に留学できるようになります。文科省にはかなり支那共産党の金がなだれ込んでいます。こんな支那人の利権化を許していいのでしょうか? あのTikTokのドラマにあるような国にするのは全力で阻止しなければなりません。でないと、明治の男たちが、また、英霊たちが命をかけて守ってくれた我が国が亡くなってしまいます。ちなみにTikTokドラマとInstagramのは仕事で疲れた頭であのバカさ加減を見るのには楽しいですが。Instagramにも支那共産党が入り込んでいるのですね。
慶雲館
慶雲館は、日本の長寿企業の象徴であり、その歴史は飛鳥時代にまで遡ります。その起源から現代に至るまでの道のりは、幾多の困難を乗り越えながら、一貫した価値を継承してきた証でもあります。
慶雲館の歴史は、慶運二年(西暦705年:創業1302年の歴史)に藤原鎌足の長男である藤原真人がこの地の温泉を発見し、開湯したことに端を発するとされています 。なので、慶雲館です。歴史そのまま間の名前ですね。以来、この温泉は千年以上一度も涸れることなく湧き続け、都人、武田信玄や徳川家康といった名将、そして多くの文人らに愛されてきました 。温泉の発見者については、藤原真人の息子である四郎長麿・四郎寿麿兄弟による発見説も存在しますが、いずれにせよ飛鳥時代からの長い歴史を持つことは共通しています 。
慶雲館には金剛組のような明文化された「家訓」は確認できませんが、その代わりに、代々の当主の生き様や経営理念、そして組織文化として深く根付いた運営哲学と継承への強い精神が存在します。
第53代当主である川野健治郎社長の経営姿勢は、慶雲館の運営哲学を色濃く反映しています。内面的な哲学としてのおもてなしは、単なるマニュアル化されたサービスではなく、従業員一人ひとりの「心」に根ざした行動様式となっています。多くのスタッフが何十年も慶雲館で働いており、おもてなしの精神を鋭敏かつ優雅に体現しています。彼らは黙々と動き、温かい挨拶を交わし、謙虚さと正確さをもってゲストの滞在を世話します。これは、長期勤続の従業員が多いことと密接に関連しており、彼らが長年の経験を通じてこの哲学を体得し、新人にも伝承していくことで、組織文化として定着していると考えられます。コロナ禍における「マスク越しの笑顔の練習」は、物理的な制約がある中でも、おもてなしの「本質」を追求し続ける適応力と、従業員がその哲学を共有し、実践する高いプロ意識を示しています 。
川野社長は、先代から「旅館業以外の事業に手を出すな」と厳しく言い含められてきました 。この教えを忠実に守り、これまで様々な投資話や他の旅館の買収話を断ってきたと述べています 。これは、本業である旅館業、特に「温泉」という核となる価値に経営資源を集中させるという、堅実かつ長期的な経営哲学を示しています。
川野社長は、かつて先代から不当に叱責され、会社を辞めようと決意した際に、妻の励ましを受けて「あと10年とことん頑張ってから辞めてやろう。その時に『川野がいないと困るから、どうか辞めないでくれ』と引き留められるような人間になって社長を見返してやる」と奮起したエピソードがあります 。この経験が、自身の存在価値を高め、組織にとって不可欠な人材となることを目指す運営哲学を形成しました 。
「いなければ困る」人間になることの追求
川野社長は、かつて先代から不当に叱責され、会社を辞めようと決意した際に、妻の励ましを受けて「あと10年とことん頑張ってから辞めてやろう。その時に『川野がいないと困るから、どうか辞めないでくれ』と引き留められるような人間になって社長を見返してやる」と奮起したエピソードがあります 。この経験が、自身の存在価値を高め、組織にとって不可欠な人材となることを目指す運営哲学を形成しました 。
「運鈍根」の生き方と謙虚な継承
先代の「人生は『一引き、二運、三力」という考え方を川野社長も共有しており、人からの引き立て(縁)が運を開き、実力を養う上で重要であると認識しています 。先代からの「理不尽とも思われるような無理難題」に対し、「根気強く、粘り強く、徹底して応えていくことによって運命を大きく切り開いてこられた」と評されており、この「運鈍根」(運を掴み、愚直に努力し、根気強く続けること)の精神が、川野社長の精神的基盤となっています 。
川野社長は、宮崎から出てきて縁もゆかりもなかった自分が1300年の歴史を持つ慶雲館の経営を任されたことに対し、先代から言われた「棚からぼた餅だな」「おまえはシンデレラ・ボーイだ」という言葉を謙虚に受け止めています 。これは、単なる事業継承ではなく、先代の思いや歴史の重みを背負う覚悟と感謝の念を示しています。
少し長くなりましたね。明日に続きます。明日は、EPV8❷の続きを「法師」「古まんと城崎温泉」について書いて、その後、田中伊雅と有福温泉がなぜ、EPV8から姿を消そうとしているかを書きます。
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