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城崎温泉の歴史は、1300年以上にわたる非常に古いものです。その歴史は、伝説と史実の両方から成り立っており、多くの文人に愛されたことでも知られています。なのですが、これまでの4社と違うのは、文書が残されていないので、明確な創業年などがわからないのです。いつできたのかが。それと、最も異なるのが「城崎温泉」という単位で千年続いているのです。
これまでの4社を研究した私はこれが不思議でなりませんでした。全体で? 核となる人物のリーダーシップは?不易流行は? 困難な歴史をみんなで乗り切ったの?枚挙に暇がありませんでした。
それは追々解き明かしましょう。
開湯伝説(この伝説という言葉がすぼい)
城崎温泉には、2つの主な開湯伝説が伝えられています。
鴻の湯の伝説(コウノトリの湯): 約1400年前、足に傷を負ったコウノトリが、ある場
所で足を浸しているうちに傷が癒え、元気に飛び立っていったという伝説です。里人がその場所を調べてみると、温泉が湧き出ていたとされ、これが「鴻の湯」の始まりとされています。
道智上人(どうちしょうにん)の開湯: 奈良時代初期の717年(養老元年)、僧侶の道智上人がこ の地を訪れ、難病に苦しむ人々を救うために、千日間にわたる八曼陀羅経(はちまんだらきょう)の修行を行いました。その修行が満願成就した720年、霊湯が湧き出したとされています。これが城崎温泉の始まりとされ、この伝説にちなんで「まんだら湯」が名付けられました。道智上人はその後、城崎温泉の守護寺として「温泉寺」を開創しました。これが古まんですね。
温泉街の発展
城崎温泉は、その後も湯治場として発展を遂げます。
江戸時代: 江戸時代には「海内第一泉(かいだいいちせん)」と称され、有馬温泉と並んで全国でも有数の温泉地としての地位を確立しました。当時の温泉番付では、西の関脇として高い評価を受け、多くの湯治客で賑わいました。
文学のまちへ: 明治時代以降、城崎温泉は多くの文人墨客に愛されました。特に、小説家・志賀直哉は、大正時代にこの地を訪れ、その体験をもとに代表作『城の崎にて』を執筆しました。この作品は、城崎温泉の知名度を大いに高め、「文学のまち」としてのイメージを決定づけました。
現代の温泉街
大正14年の北但馬地震からの復興: 1925年(大正14年)に発生した北但馬地震により、温泉街はほぼ全焼するという壊滅的な被害を受けました。しかし、この大震災からの復興の際に、現在の「外湯めぐり」を主軸とした温泉街の姿が形成されました。当時の町長や住民の尽力により、木造3階建ての情緒ある旅館や柳並木、太鼓橋といった、現在の城崎温泉を象徴する美しい街並みが再建されました。
この1300年以上の歴史の中で、城崎温泉は幾度となく困難を乗り越え、その度に信仰や文学、そして人々の絆によって、独自の文化と風情を育んできました。現在の城崎温泉は、この長い歴史の中で培われた「外湯めぐり」という文化を大切に守り続けています。
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