千年企業㉚:古まんと城崎温泉3(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月二十五日 月曜日)2

| コメント(0) | トラックバック(0)
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,426通目です。

お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します
日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を唱和します。
ほんのすこ時時間が空いたときのために10分仕事を毎朝チェックします。

経営コンサルタントはクライアント成長の触媒であり習慣の鏡である


ひとつでは 足りぬ力を 寄せ合って みんなで創る 地域で千年

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/
こちらもよかったらご覧ください。ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

  昨日書くと言いながら書かなかった城崎温泉の歴史を紹介します。志賀直哉先生の「城崎にて」「小僧の神様」をいつだったっけなあ。大学一年生の時だと思います。小僧の神様を読んだ時は、小僧がお寿司をご馳走になるシーンで、腹が減ってたまらなくなりました。「城崎にて」は暗い話なのですが、何かとてもよい、文章の流れです。書いたのは城崎温泉の三木屋と言われています。創業三百年の歴史を持ちます。古い旅館だなあと思っていました。

 文豪たちに愛されている城崎温泉。その後、家族で行った時も(かみさんには内緒ですが)、一番旅館「西村屋」さんの「一番良い部屋」に泊まりました。息子がまだ小さい時でした。広い部屋に美味しい料理で、飛び回って喜んでいました。廊下には文豪たちや政治家たちの書もありました。

 今回、調べてみたら城崎温泉の歴史は・・・。

 城崎温泉の歴史は、1300年以上にわたる非常に古いものです。その歴史は、伝説と史実の両方から成り立っており、多くの文人に愛されたことでも知られています。なのですが、これまでの4社と違うのは、文書が残されていないので、明確な創業年などがわからないのです。いつできたのかが。それと、最も異なるのが「城崎温泉」という単位で千年続いているのです。


 これまでの4社を研究した私はこれが不思議でなりませんでした。全体で? 核となる人物のリーダーシップは?不易流行は? 困難な歴史をみんなで乗り切ったの?枚挙に暇がありませんでした。


 それは追々解き明かしましょう。


開湯伝説(この伝説という言葉がすぼい)

 城崎温泉には、2つの主な開湯伝説が伝えられています。


鴻の湯の伝説(コウノトリの湯): 1400年前、足に傷を負ったコウノトリが、ある場

所で足を浸しているうちに傷が癒え、元気に飛び立っていったという伝説です。里人がその場所を調べてみると、温泉が湧き出ていたとされ、これが「鴻の湯」の始まりとされています。


道智上人(どうちしょうにん)の開湯: 奈良時代初期の717年(養老元年)、僧侶の道智上人がこ の地を訪れ、難病に苦しむ人々を救うために、千日間にわたる八曼陀羅経(はちまんだらきょう)の修行を行いました。その修行が満願成就した720年、霊湯が湧き出したとされています。これが城崎温泉の始まりとされ、この伝説にちなんで「まんだら湯」が名付けられました。道智上人はその後、城崎温泉の守護寺として「温泉寺」を開創しました。これが古まんですね。


温泉街の発展

 城崎温泉は、その後も湯治場として発展を遂げます。

江戸時代: 江戸時代には「海内第一泉(かいだいいちせん)」と称され、有馬温泉と並んで全国でも有数の温泉地としての地位を確立しました。当時の温泉番付では、西の関脇として高い評価を受け、多くの湯治客で賑わいました。


文学のまちへ: 明治時代以降、城崎温泉は多くの文人墨客に愛されました。特に、小説家・志賀直哉は、大正時代にこの地を訪れ、その体験をもとに代表作『城の崎にて』を執筆しました。この作品は、城崎温泉の知名度を大いに高め、「文学のまち」としてのイメージを決定づけました。


現代の温泉街

大正14年の北但馬地震からの復興: 1925年(大正14年)に発生した北但馬地震により、温泉街はほぼ全焼するという壊滅的な被害を受けました。しかし、この大震災からの復興の際に、現在の「外湯めぐり」を主軸とした温泉街の姿が形成されました。当時の町長や住民の尽力により、木造3階建ての情緒ある旅館や柳並木、太鼓橋といった、現在の城崎温泉を象徴する美しい街並みが再建されました。


 この1300年以上の歴史の中で、城崎温泉は幾度となく困難を乗り越え、その度に信仰や文学、そして人々の絆によって、独自の文化と風情を育んできました。現在の城崎温泉は、この長い歴史の中で培われた「外湯めぐり」という文化を大切に守り続けています。


 そうなです。古マンは、俺は千年だ! と、肩肘を張るを必要がないのです。城崎温泉の千年の中に溶け込み、そして、自分自身は千年の歴史を全うする。

 繰り返します。この時点ではまだ私の疑問点は解消していません。それは、明日申し上げます。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10346

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年8月25日 00:34に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「新ドメイン(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月二十五日 月曜日)」です。

次のブログ記事は「大東亜戦争の真実5(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月二十五日 月曜日)3」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。