この距離は、同じ沖縄県の石垣島から台湾までの距離(約127km)よりも近く、日本の領土の中で最も台湾に隣接しています。台湾を取られたら支那共産党は第一次列島線も第二次列島線も完全に配下に入れてしまいます。日本は貿易もできなくなります。
支那共産党は習近平の動向によりますが、彼が最後の仕事としてやるか、それとも軍が暴走するでしょうか?
支那が台湾に侵攻してもまだ「戦争は嫌だ」とのたまいますか? そうではないでしょう。「武」とは「戈(ほこ)」を「止(とめる)」です。幸い我が国には今、護衛艦隊軍が4つあります。日露戦争の時の連合艦隊が1つの時とは違います。
第1護衛隊群: 司令部は横須賀基地(神奈川県)にありますが、横須賀基地と佐世保基地(長崎県)に配備。司令は沢田 俊彦海将補
第2護衛隊群: 司令部は佐世保基地(長崎県)にありますが、所属する護衛隊は佐世保基地と横須賀基地に配備。司令は江畑 泰孝海将補
第3護衛隊群: 司令部は舞鶴基地(京都府)にありますが、所属する護衛隊は舞鶴基地と大湊基地(青森県)に配備。司令は青木 邦夫海将補。
第4護衛隊群: 司令部は呉基地(広島県)にありますが、所属する護衛隊は呉基地と佐世保基地に配備されています。司令は夏井 隆海将補
そしてこの4群を統率する護衛艦隊司令は伍賀 祥裕(ごが よしひろ)海将です。
そして、こんなことをメディアに騙されて信じてしまった国民がたくさんいたので、日本はつぶれてしまったと仮定しています。時は西暦2111年。まさるくんは、11歳です。
お「まさるや、晩御飯ができたよ」
お「そうかい、じゃあ、晩御飯が終わったら教えておくれ」
ま「うん」
(晩御飯終わり)
ま「あー、おいしかった。おばあちゃんのご飯はいつもおいしいや。ごちそう様」
お「そうやって言ってもらえると、作り甲斐があるねえ。いつも一人だからつまらなくて」
ま「じゃあ、時々僕が泊りに来るね」
お「うれしいねえ」
ま「じゃあ、はじめるね。まずは、浅海一男。創作記事を書くことは当時はよくあったことだから、これは百歩譲って許するとするね。問題なのは、自分の書いた創作記事が元で、人が殺されるという時に、浅海一男は逃げ出してしまったんだ」
お「されに浅海一男のその不道徳、無責任な態度は、両少尉が殺されても変わらず、戦後もずっと死ぬまで変わらなかったね」
ま「浅海一男には、罪悪感というものはなかったかなあ? 僕だったら良心の呵責に夜は眠れなくなると思う」
お「それが普通の人間だね。でも、なんと、両少尉が殺された後の浅海一男の人生は、まるでバラ色だったんだ」
ま「そう、毎日新聞の記者として出世街道を突き進み、毎日新聞を代表する大記者にまで昇りつめた」
お「そして『新中国は全世界の圧迫された民族の解放を目指している』など、浅海一男は支那礼賛の記事を書きまくり、支那から喜ばれたんだよ」
ま「支那は、こう言った。『浅海記者は我が国に対する反動新聞社の中で、民主化に努める英雄的記者だ』とね」
お「支那の工作員以上の活躍だね」
ま「さらに定年退職後、日支友好推進はとして毛沢東や、あのおよそ人間の所業とは思えない文化大革命を礼賛した数冊の本を書いたんだ」
お「そして、毎日新聞社から、『日中の懸け橋』と輔呼ばれて、終身名誉社員の待遇を受けた」
ま「ほんの少しでも、恥を知っていれば、記者なんか続けられないよね。もっと、すごい事実は、浅海一男と同行していたカメラマンが、『あれはホラだ』と明言しているんだ」
お「ひどいもんだね。じゃあ、次回は、その浅海一男を守り通した毎日新聞にことについて話そうね」
ま「うん、今日は帰らないと。おばあちゃん、ありがとう。とても楽しい。正しいことを知ることって国を創ることなんだね。あの当時の国民は、メディアに騙されて、そこから目をそらしたから国がつぶれたんだね。僕が絶対に日本を再興する。」
お「頼もしいねえ。おばあちゃん、もっともっと長生きして、まさるが日本を再興するのを見るね。そうだ、岐阜のプルシックっていう、とてもおいしいプリンとロールケーキがあるから持っておかえり」
ま「わーい。ありがとう」
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