千年企業㉑:慶雲館7(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月十二日 火曜日 赤口) 2

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お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十二ヶ条を達成します

 金剛組の「家訓」との比較と慶雲館の独自性

 金剛組と慶雲館は、日本の長寿企業の代表格でありながら、その「家訓」のあり方には明確な違いが見られます。


金剛組の明文化された家訓

 金剛組は、聖徳太子十七条憲法に倣った明文化された家訓を有しています。これは、倫理的・道徳的な規範、職人としての心構え、そして組織運営の原則を明確に示し、世代を超えて継承される組織の「憲法」として機能してきました。その内容は、仏教の教えや日本の伝統的な価値観に基づき、組織のアイデンティティを強固に形成する役割を担っています。


慶雲館の「生きた哲学」としての家訓

 一方、慶雲館には金剛組のような明文化された家訓は確認できません。その代わり、慶雲館の「家訓」は、以下の要素が複合的に絡み合い、日々の運営と継承の中で「生きた哲学」として機能しています。


「温泉力」という実業的・実践的な哲学

 慶雲館の経営の中心には、その類稀な「温泉」という物理的資源があります 。これを「全館源泉掛け流し」という形で最大限に活用し、顧客に提供するという徹底した姿勢は、単なるサービスを超えた「実業的・実践的な哲学」であり、慶雲館の存在意義そのものです。これは、金剛組が「建築」という技術を核とするのと同様に、慶雲館は「温泉」という自然の恵みを核としていると言えます。


「おもてなし」という内面的な規範

 顧客のニーズを先取りし、心から寛いでいただくという「おもてなし」の精神は、従業員一人ひとりの行動に深く根ざした「内面的な規範」として機能しています 。これは明文化せずとも、長年の経験と文化として継承されてきたものです。


当主の「運鈍根」と「本業集中」の精神

川野健治郎社長の「旅館業以外の事業に手を出すな」という先代からの教えの遵守 や、困難に粘り強く立ち向かう「運鈍根」の精神 は、慶雲館の経営を支える重要な柱です。これらは、明文化された家訓がなくとも、代々の当主が実践を通じて示し、組織全体に浸透させてきた「リーダーシップの哲学」と言えます。


「不易流行」の適応性

慶雲館は、その歴史の中で度重なる災害や経営危機を経験しながらも、その都度、建物を再建し 、経営体制を刷新し 、コロナ禍のような未曾有の事態にも柔軟に対応してきました 。これは、核となる「温泉」と「おもてなし」の「不易」を守りつつ、時代の変化に合わせた「流行」を取り入れるという、しなやかな適応能力を示しています。


「家訓」という概念は、必ずしも明文化された文書である必要はなく、組織の核となる価値観や行動原則が、口伝、実践、リーダーシップの模範、そして日々の業務を通じて従業員に浸透し、継承される「生きた文化」として機能する場合があることが、慶雲館の事例から示唆されます。


 金剛組の家訓が「倫理的・道徳的規範」としての性格が強いのに対し、慶雲館の哲学は「実業的・実践的な経営原則」としての側面がより強く、その中核に「温泉」という具体的な資源と、それを最大限に活かす「おもてなし」という顧客価値創造のプロセスがあることがわかります。これは、異なる産業や事業特性に応じて、「家訓」が異なる形式と機能を持つことを示唆しています。


 この多様性は、日本の長寿企業が持つ「適応力」の源泉の一つであると解釈できます。明文化された家訓は普遍的な指針となる一方で、変化への適応には解釈の柔軟性が必要となる場合があります。慶雲館のように、核となる価値観(温泉、おもてなし)を強固に持ちつつも、その実践方法や経営の姿勢を時代に合わせてしなやかに変化させる「暗黙の家訓」は、形式に縛られず、本質的な価値を保ちながら進化し続ける「不易流行」の経営を可能にしています。これは、現代の企業が、自社の「DNA」をどのように定義し、継承していくべきかについて、形式だけでなく機能と実践の重要性を問い直す示唆を与えるものと言えるでしょう。


なぜつづく この温泉が 千年も 強靭な意思と しなやかな変化

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このページは、宝徳 健が2025年8月12日 03:48に書いたブログ記事です。

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