大東亜戦争の真実(皇紀 弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月七日 日曜日)2

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お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します

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ディグニティ(尊厳)それを有する 我が日本 気づいていないか わからないのか 


 今の政治家も含め敗戦後の我が国の立場を誤解している人がたくさんいます。

❶我が国は、サンフランシスコ講和条約でディグニティ(尊厳)を持って独立しました。講和条約というのは、戦争で起こったいざこざはすべてチャラにしようねというものです。だから、支那共産党や朝鮮半島両国にとやかく言われる筋合いはありません。それに、支那共産党は大東亜戦争の頃有効な政権などなかった。それと、大東亜戦争の時は、朝鮮半島両国は我國でした。つまり支那も北朝鮮も韓国も国家(Naitions)ではなく、民族(Ethnic)でしかなかったのです。だから今更それは違うといっても仕方がありません。

❷日本は東京裁判を受け入れて独立したというバカな政治家がたくさんいます。確かにサンフランシスコ講和条約第十一条第一項には、東京裁判を受け入れろとあります。しかし、第二項には、「でも、サンフランシスコ講和条約を締結した国が一つか二つもう東京裁判はいいよ、って言ったら東京三番のことはもう言わなくていいから」とも書いています。それを以て国会では全会一致で戦犯はもいういないという議決をしています。共産党まで加わって。なので、日本にはもう戦犯はいません。東京裁判を受け入れて独立したということも嘘です。

❸それにサンフランシスコ講和条約では、「この条約に参加していない国は日本に一切文句を言ってはならない」と書いています。だから支那共産党、韓国、北朝鮮、ソ連は文句を言う資格がありません

 歴史は正しく把握しましょう。


東京裁判が成り立たなくなることから、マッカーサーが闇に葬ってしまった「東條英機宣誓供述書」を解説しながら、大東亜戦争が侵略戦争ではなかったという、至極当然のことを証明しています。

 平成二十二年(2010)年九月二十日の記事を宝徳が編集改編しています。

  東京裁判が成り立たなくなるためGHQ総司令官 ダグラス・マッカーサーが闇に葬った「東條英機宣誓供述書」を解説し、大東亜戦争が侵略戦争などではなかったという、至極当たり前のことを証明しています。

 日華基本条約と日満華共同宣言の二回目です。

 前回述べましたとおり、日本は南京政府に対してだけではなく、蒋介石率いる重慶の和平工作も一緒に進めました。それも松岡外相に絞って交渉を進めましたが、結局、うまくいかず、南京政府と基本条約が締結されました。相手方は汪兆銘です。同じ日に日満華共同宣言によって日満華の関係を明らかにしました。この条約と共同宣言の他に、汪兆銘と付属の秘密協約、秘密協定、交換公文が交わされています。

 ポイントは三つ

①条約等の実行と支那における事実条の戦争状態の確認

②日本の撤兵

③駐兵問題

 第一の条約の完全なる実効は、政府も統帥部もまた出先の軍もすべて同感で一日も早く条約の実行をなすべきことを希望していました。しかしながら、日本側の真摯なる努力にもかかわらず、蒋介石は米英の支援により戦闘を続行し事実上の戦争行為が進行してしまったのです。軍自身の安全のためと在留邦人の生命財産の保護のためにも、また支那新政府の発展のためにも、条約の実行とともに、この事実上の戦争状態を確認し、交戦の場合に必要な諸法則の準備をする必要があったのです。もし、この段階で、蒋介石がこの態度を取らなかったら戦いは避けられたのです。

 日本を戦争状態においておきたい、ソ連。なんとか日本に戦争を仕掛けさせたい米英。日本はつらい国ですね。

 日本はこの時点で、支那政府と、対重慶が万が一戦闘状態になったときの対応方法を、事前に話し合っていたのです。

 次回は②の日本の撤兵について解説していきます。

大東亜戦争は侵略戦争ではありません
日本人は早く目を覚ましましょう

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このページは、宝徳 健が2025年9月 7日 01:10に書いたブログ記事です。

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