永遠企業(旧千年企業)㊵:一文字屋和輔2(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月七日 日曜日)3

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お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

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  この永年企業(旧 千年企業)を書き始めた時、最初は7社から始めました。その後、いろんな読者の方から「ここもそうではないのか?」というお叱りの言葉をいただきました。また、奈良に経営なさっている老舗の社長に「奈良にも千年企業があるのでですか?」とうかがったら」「桓武天皇の平安京遷都の時に京都にみんなついて行ったのではないかなあ」と言われました。

 調べ直し直しました。あるはあるは。まず、

❶平安京遷都(794年:今から1231年前)の時に一緒に京都に行った企業2社:これはまだ調査の要
❷ならに「遺っ」た企業2社 これもまだある
❸私が今回把握していた❶❷以外の企業16社

 まだまだありますね。20社〜30社ありそうですね。もし、この企業はどうか?と言うところがありましたら調べますので教えてくださいね。どんな小さな企業でも結構です。小さい方が素敵かも。
 
 我が国はすごい。また欧米に国家の概念すらない頃からスタートしている企業が日本にこんなにあるのです。なので、一文字屋和輔の話が終わりましたら、永遠企業の記事は一旦リセットしてやり直します。私の認識不足ですません。

もの言はぬ そこここにある 永遠の 命の企業 あなたのそばにも

永遠企業(旧千年企業)の凄さをはこれで6社と1地域で観てきました。永遠企業との特徴です。

❶真剣に自分たちは、たった千年ではなく永遠に続くということ信じ抜いている

❷核となる「家」がある(上場していない、主語を他人にしない)

❸核となる「家」または「地域」が常に永遠に関してのリーダーシップを保持している

❹他者の支配を受けていない(行政・金融機関を含む)

❺不易流行が恐ろしく実践されている(流行を安易に行わず不易と一つの道を創る)

❻皇室の在り方が背骨にある

外部要因の危機を何度も乗り越えている

❽内部要因の破綻を一度は味わっている


(EPV8:Eternal Principle Value8:8つの不朽の原則価値と呼びます。千年を不朽に変えました。こちらの方がしっくりします。)


 つまり、永遠企業とは世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國日本のあり方なんです。皇室のあり方なんです。陛下の生き様なんです。


  ❶〜❸が、永年企業の絶対条件です。それも、❶が絶対条件❶〜❸のなかでも、さらに大切なことです。これがなければ、永遠企業は絶対にできません。なぜ千年企業を永遠企業に変えたか。千年企業は、千年なんか通過点に過ぎないんです。これからもずっと自分の会社は続くと思っているのです。ということでさえ、当人たちは気づいていないのかもしれません。

 もし永遠企業が、「やっと千年だね」と思った瞬間に、歴史は終わるでしょう。

続くか続かないかさえ彼らのとってはどうでもいいことなのです

 それが当たり前なのですから。永遠企業を研究しながらそう思わざるを得なくなりました。

さて、一文字屋和輔の年表です。


内と外の困難を乗り越えた歴史的証左

 一文字屋和輔の歴史は、単に平和な時代を生き延びただけではありません。幾多の戦乱や飢饉、そして門前のライバルとの関係性という、内外の困難を乗り越えてきた証拠が随所に見られます。


戦乱、飢饉、そして「奉仕」の精神

 歴史が示す最も顕著な事実は、一文字屋和輔が戦乱や飢饉といった社会的危機を、商業的な利益を追求するのではなく、人々に奉仕することで乗り越えてきたことです。


 特に、京都の街が壊滅的な被害を受けた応仁の乱の際には、貧しい庶民に餅を振る舞ったという逸話が残っています。これは、危機に際しても商売を継続できただけでなく、店が地域社会の支柱として機能していたことを示しています。  


 この「奉仕」の精神を可能にした背景には、金銭的な利益とは別の安定した基盤があありました。戦前まで、一文字屋は田畑を所有しており、そこから得られる収穫が、店舗経営を金銭至上主義に陥らせることなく、奉仕を第一とする経営を支えてきました。この体制は、店を単なる商売の場ではなく、神事と結びついた文化的な拠り所として維持する上で極めて重要な役割を果たしました。つまり、その存続の理由は、経済的な合理性ではなく、社会的な役割と文化的信頼性に基づいていたのです。  


門前のライバル「かざりや」との関係性

 一文字屋和助の向かいには、創業から約400年の歴史を持つ「かざりや」という、もう一軒のあぶり餅店が存在します。一文字屋は「元祖」を、かざりやは「本家」を名乗り、互いに長い歴史を誇っていなます。両店のあぶり餅は見た目は似ているが、一文字屋のものが「あっさり」としているのに対し、かざりやのものは白味噌の風味がより強く「濃厚」な味わいだと評されており、それぞれ微妙に味が異なります。  


 通常であれば、このような近接した立地での競合は、どちらかが淘汰される厳しい競争に発展しがちです。しかし、この二軒の関係性は、互いを尊重し、暗黙の了解のもとで共存してきた歴史を持ちます。これは、両店が単に商売敵としてではなく、「今宮神社のあぶり餅」という一つの文化を共同で守り、発展させてきた存在であることの証左と言えます。この共存関係は、競争による消耗を避け、伝統の継承に注力する安定した環境を築く上で、重要な外部要因となっています。  

 ここで一つ思い出しませんか? 1300年以上の歴史を持つ城崎温泉が、危機の時に内外の反対を押しきって、素晴らしいリーダーが、外湯文化づくりを提唱しました。その結果、各老舗旅館は、「温泉」で競合することなく、共生したのです。こういう差別化もあるのですね。

 さあ、少しずつ一文字屋和輔の本質に触れていきましょう。つづく

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このページは、宝徳 健が2025年9月 7日 01:53に書いたブログ記事です。

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