超説短編かぐや姫:地球編⑬(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月九日 火曜日)5

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日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

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我が国は 幸はせな国 天子様が 天の声聴き 民を導く
世界にて これほどの君 持つ国は 奇跡の国 我が日本のみ
物語 千年以上の 物語が 我らに問ふてる 奇跡の国を

(現代語訳:原文は後ろにつけます)今日も含めてあと二回です。

 中将は、翁の家に派遣された人々を引き連れ、内裏(だいり)に帰参して、かぐや姫を戦い留めることができなかった趣を、こと細かく奏上する。不死の薬が入った壺に、かぐや姫の手紙をつけくわえて帝に差し上げる。帝は、それを広げて、ご覧になって、ひどくしみじみとした気分になられ、何もお食べにならない。音楽の演奏などもなさらないのであった。

 大臣や上達部を召して、「どの山が天に近いか」と帝がお尋ねになると、ある人が奏上する。「駿河の国にあるといわれる山が、この都にも近く、天にも近うございます」と奏上する。帝はこれをお聞きになって、

あふことも なみだにうかぶ 我が身には 死なむ薬も 何にかはせむ

(かぐや姫に会うことも二度とないゆえに、あふれ出る涙の中に浮かんでいるようなわが身にとっては、不死の薬など、何の役に立とうぞ)帝の御製です。


 かぐや姫が奉った不死の薬の壺に手紙をくわえて、御使にお渡しになる。勅使には、つきのいはがさという人をお呼びになって、駿河の国にあるという山の頂上に持って行く旨をご命令になる。そして、その山頂でなすべき方法をお教えになる。お手紙と不死の薬の壺とを並べて、火をつけて燃やすべきことをご命令になる。

その旨をうけたまわって、つきのいはがさが多くの兵士たちをたくさん引き連れて山に登ったことから、この山を「士に富む山」(「不死(不死の薬)の山」)、つまり「富士山」と名づけたのである。


 そして、その不死の壷を焼く煙は、いまだに雲の中へ立ちのぼっていると、言い伝えている。


 竹取物語は、日本最古の物語です。その日本最古の物語が富士山の命名をしているですね。

技「天帝様、天帝様。全てが終わりました。そして、わたの新たなる人生が始まります。お迎えをお願いします」

天「あい、わかった。よくやったな。伎天」

技「温かいお言葉を恐悦至極に恐悦至極に存じ上げます。天のあり方が地上にも映し出されることがよくわかりました。地球に来る前の私は、愚かな女でした。いえ、愚かな人間でした」


(原文)これはみなさんは読まなくて結構です。

その後(のち)、翁(おきな)、媼(おうな)、血の涙を流して惑(まと)へど、かひなし。あの書き置きし文(ふみ)を読みて聞かせけれど、「なにせむにか命(いのち)も惜(を)しからむ。誰(た)がためにか。何事も用なし」とて、薬も食はず、やがて起きもあがらで、病(や)み臥(ふ)せり。

中将、人々引(ひ)き具(ぐ)して帰り参りて、かぐや姫を、え戦ひとめずなりぬること、こまごまと奏(そう)す。薬の壺(つぼ)に御文(ふみ)そへて参らす。ひろげて御覧じて、いとあはれがらせたまひて、物もきこしめさず、御遊(あそ)びなどもなかりけり。

大臣、上達部(かみたちべ)を召(め)して、「いづれの山か天に近き」と問はせたまふに、ある人奏す、「駿河(するが)の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近くはべる」と奏す。これを聞かせたまひて、

あふことも なみだにうかぶ 我が身には 死なむ薬も 何にかはせむ

かの奉(たてまつ)る不死(ふし)の薬壺に文具(ぐ)して御使(おほんつかひ)に賜(たま)はす。勅使(ちょくし)には、つきのいはがさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべきよし仰せたまふ。峰(みね)にてすべきやう教へさせたまふ。御文、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。

そのよしうけたまはりて、士(つはもの)どもあまた具して山へのぼりけるよりなむ。その山を「ふじの山」とは名づけける。

その煙(けぶり)、いまだ雲の中へ立ちのぼるとぞ、いひ伝えたる。

そののち、じいさんとばあさんは血の涙を流して思い乱れるけれども、どうにもしかたがない。あのかぐや姫が残した手紙を周囲の人たちが読んで聞かせるけれども、「何をするために命を惜しむのだ。誰のために命を惜しむのだ。何事も意味がないのだ」と言って、薬も飲まない。そのまま起き上がることもなく、病床に臥(ふ)せっている。

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このページは、宝徳 健が2025年9月 9日 02:00に書いたブログ記事です。

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