超訳 昔、男ありけり:武蔵鐙(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月二十八日 日曜日)5

| コメント(0) | トラックバック(0)

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,597通目です

 

お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

108歳の誕生まであと14,948日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない!

 

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

こちらもよかったらご覧ください。

ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントのひとつです


                            業平の 泣いた盗んだ 物語 昔の人は ヤンチャ楽しむ

今日は第十二段の「武蔵鎧」です。まずは原文から

むかし、武蔵なる男、京なる女のもとに、「聞ゆれば恥づかし、聞えねば苦し」と書きて、うはがきに、「むさしあぶみ」と書きて、おこせてのち、音もせずなりにければ、京より、女、

武蔵鐙 さすがにかけて 頼むには 問はぬもつらし 問ふもうるさし

とあるを見てなむ、たへがたき心地しける。

問へばいふ 問はねば恨む 武蔵鐙 かかるをりにや 人は死ぬらむ

(宝徳超訳)
「聞かゆれば」というのは、(こっちに愛人ができた)ということを今日の妻に知れせれば」という意味です。「武蔵鎧」というのは、武蔵国で産するあぶみ。あぶみは馬に乗るとき、両足を乗せる部分です。は鐙を下げる皮についている金具。「やはり」の意の「さすがに」を掛けています。 ■「問へばいふ...」 「かかるおり」はこういう場合という意味です。でも、和歌はあまり文法とか古語を気にして読むのではなく、全体の雰囲気で何を言っているかを楽しんた方が楽しですよ。この歌は業平が「あっ、いけね。しばらく手紙を送るのをわ捨ててた」と思ったので手紙をわざわざの様に送りました。男性はバカなので複数のことをやるのに長けていません。こんなの送ったら藪蛇です。案の定、高子からは厳しいお言葉が返ってきました。今も昔も女性は逃げ道を作らない怒り方をします。これも「はいはい。すみません」と送ればいいのに(私もできませんが)、「ふん」という歌を返しました。まあ、プレーボーイの言い訳です。それを身体極まるなどと笑。

お互ひに 同じ人では ありながら 男と女を 理解せぬまま


(現代語訳)

昔、京から下って武蔵に住んでいた男が、京に残してきた女のもとに「言えば恥ずかしいし、黙っておくと苦しい」と書いて、上書きに「むさしあぶみ」と書いて文を送ってから、連絡が途絶えてしまった。そこで女は京から、

武蔵鐙をさげる「さすが」のように、あきらめたつもりでもさすがに私はまだ貴方を頼みにしているのです。お手紙の無いのもつらいし、そちらでできた女性のことをお手紙で知らされるのも嫌な気分です。

と寄こしたのを見て、男は我慢できない気持ちになった。

手紙を送れば文句を言う。送れなければ恨む。こういう場合に、人は進退きわまって死んでしまうのだろうね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10523

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年9月28日 05:37に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「修行じじいのつれづれなるままに(皇紀二千六百八十五 令和七年(2025年)九月二十八日 日曜日)4」です。

次のブログ記事は「新ドメイン(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月二十九日 月曜日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。