超訳 昔、男ありけり:くたかけ(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月二十九日 月曜日)5

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                        千年も 昔の男女 束の間の 情事楽しむ 陸奥のできごと

 ついに伊勢物語は第十四段まできました。まず原文から。

 むかし、男、陸奥(みち)の国にすずろにゆきいたりにけり。そこなる女、京の人はめづらかにやおぼえけむ、せちに思へる心なむありける。さてかの女、

なかなかに 恋に死なずは 桑子(くはこ)にぞ なるべかりける 玉の緒ばかり

歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきて寝にけり。夜ぶかくいでにければ、女、

夜も明けば きつにはめなで くたかけの まだきに鳴きて せなをやりつる

といへるに、男、京へなむまかるとて、

栗原の あねはの松の 人ならば みやこのつとに いざといはましを

といへりければ、よろこぼひて、[思ひけらし」とぞいひをりける。

(宝徳超訳)

「すずろに」とは「なんとなく心を惹かれて」です。知っているのに和歌に使ったことないなあ。覚えて置こっと。「めづらか」は夫婦とちがって。「なかなかに」は「なまじ」。「桑子」は「蚕」です。まあ、あんまり細かいところまで考えると和歌が面白くなくないますので。

 話の流れは、京都の男が珍しいと抱かれたいと思って女が業平に和歌を送ったのです。平安時代のストーカーだと思ってください。そうしたら、業平が

歌の下手なやっちゃなあ。さすが田舎もんや

と思ってまあ、旅の空の下ならいいだろうと、一晩抱いてやろうと女の家に行ったのですが朝彼女が寝ているうちに出立しました。すると、朝なく鶏を水槽に投げ入れてやればよかったなどというへたそくそな歌を読んだので、業平が「お前はそれほどのおんじゃないよと歌を変えました。

ところがこの勘違い女性は、それを好意的に取ってやっぱり私のことが好きなのね。と、思ったという業平のプレイボーイ振りを描いた物語です。

なんか伊勢物語って人間臭くって面白いですね🤣。和歌はこういうふうにも読めるんですね。



(現代語訳)

 昔、男が奥州へ何となく心惹かれて旅していった。現地の女が、京の男をめずらしいものに思ったのだろう、たいそう男に心よせて歌を書き送った。

なまじあなたを恋して死んでしまうくらいなら、蚕になるんだった。短い一生の間だけでも、あなたと仲睦まじくしていられるんですから。

歌までも田舎ぽいことであった。そうはいっても男はやはり心打たれたのだろう、女のもとに行って、一晩を共にした。まだ夜が深いうちに男は出発したので、女は、

夜が明けたら水槽にあの鶏の奴を投げ入れてやろう。まだ夜も明けない早い時間に鳴いて私の夫を帰してしまったのだから。

と歌を詠んだところ、男は京へ帰るということで、

栗原の姉歯の松のように、いっぱしの女ならば、都への土産に「さあ」と言ってお持ちかえりするんだがね(だけどお前はそれほどの女じゃないね)。

と詠んだところ、女は田舎者とバカにしている歌の意味を理解できず、喜んで、「私のことを思っていたのだ」と言っていたのだった。

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このページは、宝徳 健が2025年9月29日 04:54に書いたブログ記事です。

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