超訳 昔、男ありけり:くたかけ(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月晦日 火曜日)5

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                        東にて 遺してきたは 思ひ出と 思ひを込めた ひとときの夜

   伊勢物語は第十五段信夫山になります。さあ、東下りが終わります。当時の政情・業平の心持ち、各地の女性の思いはどうなっていくのでしょう。原文からです。

むかし、陸奥(みち)の国にて、なでふことなき人の妻(め)に通ひけるに、あやしう、さやうにてあるべき女ともあらず見えければ、

しのぶ山 しのびてかよふ 道もがな 人の心の おくも見るべく

女、かぎりなくめでたしと思へど、さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせんは。

(宝徳超訳)
 業平はどれだけ東国で女を抱いたのでしょう🤣。私は若い時に硬派教育を受けてきたので、女性と女を明確に区別していたと思います。社会人になって結婚を意識するようになったときは何人かの女性と付き合いました。でも、「女性」に一切手出しはしませんでした。それが私の矜持でした。女性は物足りなかったかもしれませんね。女はどうだったのかって? 「軍事機密」です😝。

 でも、和歌が詠めたらどうなっていたのかなあと思うことはあります。素敵ですよね。山や川や海を見ながらそれを女心に結びつける。素敵だなあ。

  源氏物語では、軸になるのが光源氏を藤壺の存在です。藤壺は天皇の女御でありながら、光源氏と溥儀の子を産んでしまいます。後の冷泉帝です。その時、自分の子だとわかっいながら、光源氏は歌を藤壺に送ります。

よそへつつ 見るに心は なぐさまで 露けさまさる 撫子の花

     (苦悩にかこつけて見ていますが、心は慰められず涙があふれます。撫子の花よ


 それに対する、藤壺の返歌です。

袖ぬるる 露のゆかりと 思ふにも なほ疎まれぬ 大和撫子

あなたの袖を濡らす露のゆかり、あなたの子であると思うと、やはりうとめない大和撫子......若宮です)

 これをどう思うかは今の私にはできません。でも、こんな悲しいことでもわかってできるんですね。和歌は嘘がつけないと言われています。


(現代語訳)

昔、奥州でなんということの無い平凡な夫の妻となっている女のもとに、男が通っていた。男は不思議に思った。この女はそんな平凡な夫の妻でいるような女でもないのにと。

しのぶ山という地名のように、あなたの心の奥へ通じる道を忍んで行きたいものだ。あなたの心の奥を知るために。

女はたいそう嬉しいと思ったが、でもこんな田舎者の心の奥なんて見たってがっかりするだけだわとも思うのだった。

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このページは、宝徳 健が2025年9月30日 06:16に書いたブログ記事です。

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