永遠企業(旧千年企業)㊵:一文字屋和輔(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月五日 金曜日)2

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お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

108歳の誕生まであと19,470日:絶対にこの日まで命を閉じない!

 

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商品が たったひとつで 永年の 力がやどる 団子の魔力

これまで、永遠企業(旧千年企業)の凄さを5社と1地域で観てきました。他の2社を除きどの会社も得心のいく永年企業でした。永遠企業とは、

❶真剣に自分たちは、たった千年ではなく永遠に続くということ信じ抜いている

❷核となる「家」がある(上場していない、主語を他人にしない)

❸核となる「家」または「地域」が常に永遠に関してのリーダーシップを保持している

❹他者の支配を受けていない(行政・金融機関を含む)

❺不易流行が恐ろしく実践されている(流行を安易に行わず不易と一つの道を創る)

❻皇室の在り方が背骨にある

外部要因の危機を何度も乗り越えている

❽内部要因の破綻を一度は味わってい

(EPV8:Eternal Principle Value8:8つの不朽の原則価値と呼びます。千年を不朽に変えました。こちらの方がしっくりします。)


  ❶〜❸が、永年企業の絶対条件です。それも、❶が絶対条件❶〜❸のなかでも、さらに大切なことです。これがなければ、永遠企業は絶対にできません。なぜ千年企業を永遠企業に変えたか。千年企業は、千年なんか通過点に過ぎないんです。これからもずっと自分の会社は続くと思っているのです。ということでさえ、当人たちは気づいていないのかもしれません。

 もし永遠企業が、「やっと千年だね」と思った瞬間に、歴史は終わるでしょう。

続くか続かないかさえ彼らのとってはどうでもいいことなのです

 それが当たり前なのですから。永遠企業を研究しながらそう思わざるを得なくなりました。

 予定を変えさせてください。先に一文字和輔さんを解説します。

京都 一文字屋和輔(一和):千年の歴史に秘められた、老舗の内部的強さと文化の継承

千年の「老舗」という奇跡

 前に、一和さんに、お団子を食べに行きました。もう三度目ぐらいです。五本(いまでもそうかな)、あぶり餅が出てきます。美味しいんです。二回おかわりしました、25代目の女将といろいろ話をしました。話の内容をみなさんに紹介するのが楽しみです。


 一番印象に残ったのは女将が「京都では応仁の乱を体験してなかったら老舗と言わないのよ」でした。欧米でまだ国の概念すらあいまいな300年や500年前までは京都では老舗と言わないんだそうです。


 もし、一文字屋和輔が廃業になったらマスコミは大騒ぎです。一文字屋和輔の千年の凄さを知らないマスコミは、きっと「単品商売の限界が露呈」と騒ぐでしょう。


 さて、京都の紫野今宮神社の旧参道にひっそりと佇む一文字屋和輔(いちもんじやわすけ)は、単なる和菓子店という枠を超えた、日本の歴史と文化の生きた証そのものです。

 
 創業は平安時代中期の長保二年(西暦1000年)に遡り、その歴史は1025年です。
これは、現存する飲食店としては日本最古の記録であり、世界的に見ても稀有な「千年企 業」の一つとして知られています。提供される商品は、一口大の餅をきな粉にまぶして炭火で炙り、白味噌のタレをかけた「あぶり餅」ただ一品のみです。


 この単一商品で千年もの間、激動の時代を生き抜いてきた事実は、その経営哲学と文化に、通常の商業論理では測りきれない深遠な力があることを示唆しています。  


 一文字屋和輔がどのようにして千年の歴史を繋いできたのか、その核心に迫りましょう。単なる年表的な歴史の羅列に留まらず、外部環境の変遷だけでなく、その内部に脈々と受け継がれてきた強固な要因、すなわち、経営哲学、継承のあり方、そして商品そのものに宿る思想を多角的に分析します。特に、戦国時代の京都を焦土と化した応仁の乱(1467-1477年)を経験していないと真の老舗とは言えないという古都の価値観に鑑み、一文字屋和輔がこの未曽有の危機をいかに乗り越えたかという点に焦点を当てます。応仁の乱という文化的な分水嶺を乗り越えたという事実は、単なる歴史的存続を超え、京都の不変性と「本物」の証明を意味します。この永遠企業の記事では、その歴史的証左と、現代にも通じる普遍的な価値観を解き明かします。

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このページは、宝徳 健が2025年9月 5日 00:15に書いたブログ記事です。

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