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 今は、「南部仏印進駐問題」を解説しています。仏印とはベトナムあたりです。
本日は、蘭印との経済会談の決裂についてです。インドネシアあたりですね。
 1940年(昭和十五年)九月以来、日本は蘭印との交渉に全力を尽くしました。当時石油が米英より輸入を制限されていました。そのため、日本としては、これを蘭印より輸入することを唯一の方法と考えてその成立のために努力しました。
 しかし、蘭印の方も敵性を帯びてきた六月十日ごろには、事実上決裂の状態に陥りました。六月十七日にはその声明を成すに至りました。オランダ外相は五月上旬バタビヤにおいて蘭印は挑戦に対してはいつでも、応戦の用意があると、日本に挑発的な言葉を投げかけました。
 このようなわけで、当時、日本は重大なる時期にありました。日本の自存は脅威にさらされたのです。
 日本は開戦時、七十日分の石油しか持っていませんでした。
 「石油の世紀」という上下巻の分厚い本があります。この本には、結局日本もドイツも、イタリアも、石油を、確保しに行く戦争をしたのだということが書かれています。石油を持つ国が、石油を持たない国を、ブロック経済で痛めつけたということが、第二次世界大戦の本質です。大東亜戦争にしてももちろんしかりです。そして、その背景は、米英ソ連などが、自分の植民地利権を伸ばすためのものだっただけなのです。それを、日本だけが「侵略戦争」の汚名を着せられているのです。そんなことを学ばない、おばかな日本国民は、自分たちの国はだめな国なのだと思い込み、世界で唯一自国を悪と定めた憲法を受け入れ、不埒な日教組教育で育ったのです。
 いままで、自民党政治家が首になった発言を見てください。「朝鮮では日本もよいこともした」「日韓併合は挑戦にも責任がある」「日教組の教育が日本をだめにした」などなど。真実です! 田母神空自幕僚長の発言も真実です! それを、すべて東京裁判史観に染められたマスコミが糾弾し、政治家を葬り去りました。だから、本当のことを言う政治家がいなくなりました。
 これは、主権者国民の責任です。でも、田母神さんの場合を見てください。当初、マスコミは、田母神さんをぼろくそに書いていました。なのに、田母神さんの講演会には人が一杯集まって、国民が、支持するとマスコミはその後、何も言わなくなりました。第4の権力などと、自分たちをうぬぼれさせているマスコミの力なんてしょせんこんなものなのです。つまり、国民が正しい歴史を勉強し、正しい発言をしたら、不埒なマスコミはだまります。心ある政治家が勇気を持った発言ができるようになります。私たち国民の責任は重いのです。
 
 
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