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今は、「南部仏印進駐問題」を解説しています。仏印とはベトナムあたりです。では、日本とフランス政府とはどのような交渉があったのでしょうか?
 日本とフランス政府との間には、1940年(昭和15年)七月二十一日正午(フランス時間)共同防衛の了解が成立し、七月二十二日午前中に交換公文が交換されました。両国政府よりこれを現地に通報し、現地においては、その翌二十三日に細目の協定が成立しました。これを受けて、海南島三亜に終結していた日本軍はその日、進駐の命令が発せられ、二十五日に三亜を出発しました。二十六日には、日本政府はこれを公表しています。
 この部隊は、二十八日にナトランに、二十九日にはサンヂャックにきわめて平穏裡に上陸しています。日本政府とヴィシー政府との間の議定書である日仏共同防衛議定書は、二十九日に調印をしています。
 このとき、日本政府はドイツ政府にフランスへの斡旋を求めました。これを、連合国軍側は、東京裁判では、執拗に日本側を追求しました。東條英機宣誓供述書では、ドイツへ斡旋を求めたことは認めています。でも、ドイツ外相がこの斡旋を拒否したことを記述しています。マッカーサーが発禁処分にするはずですよね。
 したがって、連合国軍側が、国際法違反の東京裁判において、日本がドイツ側を経てフランスを圧迫したと主張した事実はまったくないことになります。また、連合国軍側は、ヴィシー政府を強制して不法武力を行使したと主張しました。でも、日本軍が進駐の準備として、三亜に集結する以前にすでにフランス政府と日本政府の交渉は成立していたのです。
 日本が南方に進出したのは、止むを得ない防衛的措置であることは賢明な読者の方ならおわかりいただけるはずです。米英蘭に対する侵略基地を準備したのではないのです。
 むしろ、米英蘭が、アジアで無謀な事をすることをやめてもらい、支那事変を早く終わらせたかったことと、自国が生き延びるための産物がほしかっただけです。明白な自衛目的です。
 ルーズベルトの人種差別感覚により、戦争に追い込まれ、恥辱的な敗戦後は、国際法違反の東京裁判で、侵略戦争史観を押し付けられ、GHQによる戦争犯罪プログラムで戦前の日本はすべて悪かったと教えられ、公職追放により、共産主義者の跋扈を許し、世界で唯一自国を悪と定めた憲法を押し付けられ、正しい歴史観を放棄した日本人は哀れです。
 しかしこれは国民の不勉強の責任です。不埒な日教組による戦後の誤った教育を享受してしまったのですから。
 先日妹に、この正しい歴史を伝えたら、目をキラキラさせてくれました。そして、彼女は言いました。「お兄(彼女は私をこう呼びます)、なして、そげな嘘が通ると? なして、政治家はちゃんと言わんと? なしてマスコミはちゃんと伝えんと?(博多弁)」
 確かにそうですね。でも、不勉強な国民とそれを利用している左翼マスコミがいる限り、心ある政治家さえも堂々たる主張ができなくなります。社会主義政党である民主党の失言は聞くに堪えませんが、マスコミがこれまで葬り去った、心ある政治家の言葉はいかがですか? 「日本は朝鮮半島で悪いことばかりではなくよいこともした」「日韓併合は、朝鮮にも責任がある」「日教組が日本の教育をめちゃくちゃにした」。これらの発言をした政治家はすべてマスコミに葬り去られました。不勉強な国民は擁護しませんでした。これらの発言のどこの嘘がありますか?
 私は、右翼なんていうおばかではありません。彼らは、「天皇、天皇」と叫んでいるだけで、真の日本の国体などまったく理解していません。そして、主張の中身は、コミンテルン(共産主義)とまったく変わりません。そういうことも知らない国民が多いのです。
 私は、保守本流です。誰が正しいかという、今の民主党の危険極まりない人治国家は国を潰します。何が正しいかを追い求めるため、今後も事実の研究を深めてまいります。
 
 
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