超訳 昔、男ありけり:先夜を一夜(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月八日 水曜日)4

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千夜に一夜 男と女の 心には それぞれの恋 流れ一つに


 伊勢物語は第二十二段「先夜を一夜(ちよをひとよ)」です。まずは原文から。

むかし、はかなくて絶えにける仲、なほや忘れざりけむ、女のもとより、

憂きながら 人をばえしも 忘れねば かつ恨みつつ なほぞ恋しき

といへりければ、「さればよ」といひて、男、

あひ見ては 心ひとつを かはしまの 水の流れて 絶えじとぞ思ふ

とはいひけれど、その夜いにけり。いにしへ、ゆくさきのことどもなどいひて、

秋の夜の 千夜(ちよ)を一夜(ひとよ)に なずらへて 八千夜(やちよ)し寝(ね)ばや あく時のあらむ

返し、

秋の夜の 千夜を一夜に なせりとも ことば残りて とりや鳴きなむ

いにしへよりもあはれにてなむ通ひける。

(宝徳超訳)

瀬を早み 岩にせかるる 滝川 われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ

という崇徳上皇の御製があります。また逢えるねと歌ったものです。でも、この崇徳上皇というのは悲劇の上皇なのです。

かつて、このブログに歴史小説「魚は頭から腐る」を書きました。この頃に国民投票がもしあったら、皇室は亡失くなっていたでしょう。すべてはたった一人「白河上皇」というただ一人の我儘からです。後の藤原道長もそうですが、彼らは、「うしはく(全てを自分のものにる)」政治をやってしまいました。そして、1156年に保元の乱となり皇室がせっかく「すべての権力」捨て去ったことに泥を塗りました。 これは「しらす(為政者自分のことを律しが国民のことをとことん知る。そして許す)」という人間社会の奇跡の統治方法と「うしはく」との戦いをやってきた皇室にとって由々しきことなのです。皇室の恥部です。

 

 皇室でさえも「うしはく」をしてしまうと、崩壊するのです。だから永い永い間にそれがわかっている皇室は「うしはく」と戦ってきました。敵はどこにいたか。皇室内のそれも「白河上皇」が敵だったのです。

 

 今でも皇室は、この「魚は頭から腐る」を肝に銘じていらっしゃいます。なのであのように尋常の人間ではありえない生活習慣を守り続けていらっしゃいます。「また自分の代まで続けることができた」と安堵なさっているのです。それがとってもたいせつな「節」です。だから天皇誕生日を祝うのではなく「(たとえば)令和節」を祝うのです。メディアよ、わかったか。

 

 この時の悲劇の上皇は崇徳上皇です。

 

 京都に六波羅寺というところがあります今でも、このことを肝に命じるために皇室は、100年ごとに崇徳上皇の霊をなぐさめるお祓いをやっていまする。 メディアはすぐに開かれた皇室と言いますが、あんたたちのように間違えた表現の自由や知らさない権利を振りかざす「うしはく」とは違うんだよ。他国の「うしはく」為政者のような女性問題は起きないんだよ。

白河上皇が、自分の女御(にょうご)、璋子(たまこ)をなんと、孫の鳥羽天皇の中宮(皇后)にしてしまいました。その後も上皇と璋子の関係が続き、またまたなんと、子供まで作ってしまいました。たったひとつのこの欲望が皇室を破滅寸前までに追い込みました。他国では当たり前のことですが、世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國日本では決して許されることではありません。そんな悲劇の上皇がこんな素敵な歌を詠んでいらっしゃる。今回の伊勢物語の歌もいいですね。上手だなあ。崇徳上皇は伊勢物語を読んでいらっしゃいましたね。


(現代語訳)

昔、そう深い仲でもないままに縁が切れてしまった男女がいた。しかしやはり、忘れられなかったのか、女のもとより、

貴方はひどい方です。それはわかっています。なのに貴方が忘れられません。私は貴方のことを一方では恨み、また一方では恋しく思っているのです。

と言ってきたところ、「それ見たことか」といって、

いったん夫婦になったからには、心を一つに交わして、川の中洲のところで水の流れがいったん分かれても、やがて一つに合流するように、私たちの関係も、絶えることはないでしょう。

と歌を詠んだが、その夜のうちに女のもとに行った。過去のこと未来のことたくさん話して、

秋の千夜を一夜と見なして、八千夜をあなたと寝たなら、満足して夜が明けることがあるのでしょうか。

女の返し、

秋の千夜を一夜と見なしたとしても、愛の言葉を言い尽くすことができずに、夜明けを告げる鶏が鳴くことでしょう。

このようなやり取りがあって後、以前よりもさらに仲むつまじく男は女のもとに通った。

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このページは、宝徳 健が2025年10月 8日 01:38に書いたブログ記事です。

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