超訳 昔、男ありけり:はつかなりける女(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月十五日 水曜日)4

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あの頃の ことを男は 引きずるが 女はいつも 現実を見る


 伊勢物語は第三十段「はつかなりける女」です。まずは原文から。


むかし、男、はつかなりける女のもとに、

あふことは 玉の緒ばかり おもほえて つらき心の 長く見ゆらむ

(宝徳超訳)

高子の館で催された花の賀に招かれた業平ですが、若い頃は恋心を燃やしあった二人でも、今は、高子は皇太子の母です。「玉の緒」が短いとは、玉を糸で貫いて数珠状んしているのですが、玉の間にわずかにみえる糸の長さが短いということを例えた方言です。逢える時間は短く、逢ってない時に恨みは長く切なく思われる、と、大胆にも業平は詠んでいます。 

源氏物語でも、光源氏は、亡き母「桐壺更衣」に生き写しの藤壺に恋し、やがて父である桐壺帝の妃である藤壺と関係を持ち、秘密の愛を育みながらも、藤壺は光源氏との間に御子(後の冷泉帝)を宿しました。この御子を巡るやり取りは、母の藤壺が秘密を守り抜こうとする切迫した状況を描き、光源氏もまたその秘密を守りながら御子を愛し育むという、複雑な感情が交錯するものでした。源氏物語ほどすごい話ではないですが、伊勢物語を紫式部は参考にしているかもしれませんね。

(現代語訳)

昔、男がなかなか逢えない女のもとに書き送った。

貴女とお会いできるのは玉の緒のように短く思われて、つらい心ばかり長く続くと見えるのです。

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このページは、宝徳 健が2025年10月15日 01:10に書いたブログ記事です。

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