平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,617通目です
 
お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します
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108歳の誕生まであと14,944日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない!
 
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 むかし、紀の有常といふ人ありけり。三代(みよ)のみかどに仕うまつりて、時にあひけれど、のちは世かはり時うつりにければ、世の常の人のごともあらず。人がらは、心うつくしく、あてはかなることを好みて、こと人にもにず。貧しく経ても、なほ、むかしよかりし時の心ながら、世の常のことも知らず。年ごろあひ馴れたる妻(め)、やうやう床はなれて、つひに尼になりて、姉のさきだちてなりたる所へゆくを、男、まことにむつましきことこそなかりけれ、いまはとゆくを、いとあはれと思ひけれど、貧しければするわざもなかりけり。思ひわびて、ねむごろにあひ語らひける友だちのもとに、「かうかう、いまはとてまかるを、なにごともいささかなることもえせで、つかはすること」と書きて、奥に、
手を折りて あひ見しことを かぞふれば 十といひつつ 四つは経にけり
かの友だちこれを見て、いとあはれと思ひて、夜の物までおくりてよめる。
年だにも 十とて四つは 経にけるを いくたび君を たのみ来ぬらむ
かくいひやりたりければ、
これやこの あまの羽衣 むべしこそ 君がみけしと たてまつりけれ
よろこびにたへで、また、
秋やくる つゆやまがふと 思ふまで あるは涙の ふるにぞありける
 紀有常という人は、妹の静子が文徳天皇に嫁ぎ、第一皇子の惟喬親王が生まれました。そのまま惟喬親王が天皇になれば、有常は天皇の義理の兄という立場になれます。でも、藤原良房のミ娘・明子(あきらけいこ)との間に生まれた第四皇子・惟仁親王が藤原氏の後押しで皇太子に立ち、清和天皇として即位しました。
皇位継承の政争に敗れた紀有常は、まわりに近寄る人もいなくなり、没落していきます。家は荒れさびれ、妻も出家して家を出て行ってしまいます。「ああ...人の心は薄情なものだ。権力があった時はあんなに持てはやしたくせに、誰も彼も、私から離れていく。誰か本当の友はいないのか」その時、有常が文を送ったのが、娘婿の業平でした。業平くん、ひどいと思わないか四十年連れ添った妻も私に愛想をつかして、出て行くんだよ。って。
そんなことないですよお義父さん。長年暮らしてきた夫婦じゃないですか。慰める業平。ああ、うれしいこと言ってくれるねえ、君だけだよ真の友はと有常は涙を流すのでした。とのやりとりです。
(現代語訳)
昔、紀の有常という人がいた。三代の帝にお仕えして権勢を極めたのだが、その後は時代が変わり時がうつったので、世間の人なみの暮らしもできなくなった。
人柄は、心が立派で、優雅なことを好み、他の人とは違っている。貧しい境遇にあっても、なお豊かだった昔の心のままで、落ちぶれたからといって世間のようにそれ相応の暮らしをするものでもない。
長年連れ添った妻が、だんだん夫婦仲が疎遠になり、ついに尼になって、姉が先に尼になっている所へ出家して行くのを、男はそんなに仲が良かったわけでは無いが「じゃあ」と言って女が出ていくのを、たいへんしみじみと、愛しく思ったが、貧しいのでどうしようもない。
思い悩んだ末、親しく交際していた友人のもとに「こうこうの次第で妻は出て行ったのですが、何にもしてやれず、少しのこともしてやれず、送り出してしまったこと」と書いて、奥に
指を折って一緒に暮らした年月を数えると、四十年にもなっていた。
その歌を送られた友人は男の歌を見て、たいそうしみじみと感じ入り、衣装などはもとより夜具までも贈って、詠んだ。
年月だけ言っても四十年も一緒だったのに、あなたの奥方はあなたをどれほど頼みにしてこられたことでしょう。
このように書き送ると、男は、
これこそが、尼の羽衣ならぬ天の羽衣ですね。なるほど、雲の上の人である貴方がもともとお召しになっていたものですね(こんな貴重な羽衣を、私の元妻のためにいただけるなんて、嬉しいです)。
喜びにたえず、さらに一首
秋が来たのだろうか。露が降りたのだろうかと見間違うほど、袖に涙が降って、濡れています(喜びの涙が降って)。
 
 
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