平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,756通目です。 お天道様、今日もまた苦しみながら十三ヶ条を達成します
(第四条/第十三条)仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように私自身がまず皆さんとの約束を守ります。
日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます
仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく
眠くなったらストレッチ体操を5分やる
108歳の誕生日まであと14,905日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない!
海軍五省(1/5):至誠に悖るなかりしか
(誠実さや真心、人の道に背くことはなかったか)
英語版(1/5):The Five Reflections:Hast thou not gone against sincerity?
経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である
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ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。
キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントの一つです。
<服務の宣誓(自衛隊)>
私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法および法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。
<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。⭕️今日書いた記事
9日(日):「暦注⭕️」「修行じじい⭕️」「IT-BCP&DX」
10日(月):「暦注」「ドメイン」「修行じじい」
11日(火):「暦注」「伊勢物語」「修行じじい」
12日(水):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」
13日(木):「暦注」「修行じじい」「IT-BCP&DX」
14日(金):「暦注」「修行じじい」「大東亜戦争」
15日(土):「暦注」「修行じじい」「IT-BCP&DX」
16日(日):「暦注」「修行じじい」「IT-BCP&DX」
米国の 大統領が 無知のまま 育てたるのは 共産主義者
1.共産主義の怖さ
ロマノフ王朝のニコライ二世一家が惨殺されたことは世界に瞬く間に広がりました。各国、特に日本は、天皇陛下が殺されることと同じことになるので、日本人は「共産主義」とイヤーなイメージを持つ字を作り、共産主義になろうという雰囲気は一気に減りました。それでも大学生などは、あの共産主義のバイブル「資本論」を読み新鮮に思ったのでしょう。敗戦後のアカのようにはならずも、共産主義にそまる学生等が増えました。
共産主義がななぜ怖いのか。共産主義革命(プロレタリアート革命)の定義を書きます。一言で言うと
暴力革命
です。金持ちを殺して、彼らの財産を奪うことですが、それを世界に広げることを是としていたので、世界の国も潰して共産主義にするといったものです。
今の、立憲共産党などを見ていたらわかりますよね。自分たちのイデオロギー以外には見向きもしないので、どんな言い訳でもします。それが自己矛盾を起こし国会でしばしばブーメランになって自分に突き刺さります。
立憲民主党の野田が、「政治と金の問題に決着がついていないではないか」と言いますが、では、金も問題で有罪判決を受けている辻元清美が代表代行になっているのはなぜなんだ。それでも、悪びれずに自分たちは正義なんだと言うのが共産主義イデオロギーです。何が何でも自分たちだけが正しくて、どんなに相手が良いことをしていても、それを悪だと断じます。日本の国より、自分たちのイデオロギーの方が大切なのです。
今回の高市総理に対する深夜準備をしなければならなくなった、陰謀にしてもそうです。あれって、見方によっては殺人未遂です。そう、敵は殺すが、共産主義者なのです。
では、次回から、国内外で共産主義者がどのようなイデオロギー事件を起こしたかを紹介しましょう。
2.大躍進政策❶ 支那共産党がというより、自分たちの内部対立とソ連との意地の張り合いで、自国民を何千万人も殺してしまった、共産主義の人を殺すことを何とも厭わない横暴を紹介します。
(1)きっかけ
大躍進計画は昭和三十三年(1958年)〜昭和三十六年(1961年)に、毛沢東の支那共産党内における地位確立とソ連に対する意地というちっぽけな目的で自国民を5千万人〜1億人(はっきりわかっていない)を殺した幼稚な政策です。共産主義国というのは、自国民に対してでも平気でこういうことをやりそして、反省しません。また、これが他国にまで波及すると新疆ウイグル自治区のように、同様の愚かな行為が行われます。つまり、共産主義とは「法治国家」ではなく「人治国家」なのです。もっと言えば、共産主義は「国家(nation)」ではなく、その大陸や土地の上に存在した「民族(ethnic)」でしかないのです。欧州の国々が国家間を迎える前のように。いわば、国家観があったのはむしろアジアの国の方が早かったのです。指導者はもちろん毛沢東です。
(2)内容
①目標
従来のソ連型社会主義(重工業優先のエリート主導方式)から脱却し、大衆路線による独自の急進的な社会主義建設。数値目標:イギリスを十五年以内に追い抜くという目標(ソ連のターゲットがアメリカだっため自分は西側2位のイギリスにしたというバカみたいな目標設定。目的など何もありません)」
②手段
・農業の集団化と人民公社の設立
既存の村や協同組合を統合し生産、行政、教育を一体化させた巨大な農村組織、人民公社(コミューン)を強行的に設立しました。愚かなのは、スズメを害虫として徹底的に駆除しました。これで支那大陸の農業は生態系バランスを崩し、却って害虫が大量発生してしまいました。
・鉄鋼生産増強による重工業化 農村部まで各戸の裏庭に溶鉱炉を建設した(土法製鋼)。つまり、家庭で粗鋼生産をしろということです。できたものは品質が悪く近代工業では使い物になりませんでした。また、製鉄のために大量の森林が伐採され、洪水や干ばつの発生が増えました。多くに農村の男性労働者が製鉄に動員されたため、農業が人手不足になり生産性が著しく低下しました。
③結果
結果的に昭和三十四年(1959年-1961年)にかけて支那大陸全土で深刻な食糧難に陥り、5000万人から1億人の餓死者を出しました。
これが、誰も責任を足らないまま文化大革命へと繋がります。
3.支那紀行(人民から見た支那)
親友と二人で行った、支那大陸の旅を江戸時代末期に日本→朝鮮→支那と旅行したイザベラバードの日本紀行のように格好良く書こうと思ったのですが、「これで人間が暮らせるのか」と思ったほどの支那大陸には、逆の意味での驚きしかありませんでした。
日本から4時間かけて香港に着きました。JALの中でファーストクラスのもてなしを受けた二人は、もう大満足です。香港国際空港による着いた私たちは、タクシーに乗って九龍(カオルーン)まで行きました。当然ホテルはとっていません。九龍まで行って、交渉したらすぐに取れました。次の日に備えて眠りにつきました。まだ、香港がイギリスだった頃です(つづく)。
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