超訳 昔、男ありけり:源の至(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十一月五日 水曜日)2

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    お天道様、今日もまた苦しみながら十三ヶ条を達成します

第四条/第十三条)仕事習慣の定着:みなさんの仕事に良い習慣が宿るように

私自身がまず皆さんとの約束を守ります。

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

眠くなったらストレッチ体操を5分やる

108歳の誕生日まであと14,904日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない! 


海軍五省(2/5):言動に恥づるなかりしか

発言や行動に過ちや反省することはなかったか

英語版(2/5):The Five Reflections:Hast thou not felt ashamed of thy words and deeds?

経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

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ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントの一つです。


<服務の宣誓(自衛隊)>
 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法および法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。⭕️今日書いた記事

11日(火):「暦注⭕️」「伊勢物語⭕️」「修行じじい

12日(水):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」

13日(木):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX

14日(金):「暦注」「修行じじい「大東亜戦争」

15日(土):「暦注」「修行じじい」「IT-BCPDX

16日(日):「暦注」「修行じじい」「IT-BCPDX

17日(月):「暦注」「ドメイン」「修行じじい


 世界最古の歌物語「伊勢物語」は、第三十九段です。まずは原文から。

むかし、西院の帝と申すみかどおはしましけり。そのみかどのみこ、たかい子と申すいまそがりけり。そのみこうせたまひて、御はぶりの夜、その宮の隣なりける男、御はぶり見むとて、女車にあひ乗りていでたりけり。いと久しう率(ゐ)ていでたてまつらず。うち泣きてやみぬべかりけるあひだに、天の下の色好み、源の至といふ人、これももの見るに、この車を女車と見て、寄り来てとかくなまめくあひだに、かの至、蛍をとりて、女の車に入れたりけるを、車なりける人、この蛍のともす火にや見ゆらむ、ともし消ちなむずるとて、乗れる男のよめる。

いでていなば かぎりなるべみ ともし消ち 年経ぬるかと 泣く声を聞け

かの至、返し、

いとあはれ 泣くぞ聞ゆると もし消ちき ゆるものとも われはしらずな

天の下の色好みの歌にては、なほぞありける。

至は順(したがふ)が祖父(おほぢ)なり。みこの本意(ほい)なし








(宝徳超訳)
西院の帝は桓武天皇第三皇子淳和天皇で、譲位された後、四条の北、大宮東の淳和院に住んでいたので「淳和(じゅんな)の帝」といいます。その醇和の帝の皇女である崇子(たかいこ)が亡くなったのです。葬送の夜、宮の隣に住んでいた男が女とともに女車に乗り込んで葬儀に赴きました。そこに源至というたいへんな風流人がつやめいたことを女車の中に言って来ます。葬送の夜なのに不謹慎といえば不謹慎ですね。しかしまぬけな事に、至は女車の中に男が乗り込んでいることを知らず、女だけだと思っているのです。そこでほたるをぱあっと車の中に放ちます。狭い車の中をすーうと飛び交うほたる。これで美しい姫の顔が映し出されたらロマンチックなことですが、車の中には男が乗っています。ええい。変なことしおって。どうしましょう。今歌を書いてやるから、差し出せ。男はさらさらと歌を代筆して、女がそれを、さも自分で書いたように、至に差出します。そんな蛍を投げ入れたりしないで、人々のなき悲しむ声をききなさい。至るは反論の歌を返しました。皇女さまの魂はけして消えてはいないし、私があなたを思う恋心も、燃えているのですと。葬送の晩に、こんなことやっていたという話です。https://ise.kaisetsuvoice.com/039.html


(現代語訳)

昔、西院の帝と申し上げる帝がいらっしゃった。その帝の皇女に祟子と申し上げる方がいらっしゃった。その皇女がお亡くなりになり、御葬送の夜、その御殿の隣に住んでいた男が御葬送を見ようということで女房の乗る牛車に女と一緒に乗って出発した。

えらく長い間柩を引き出し申し上げない。泣くだけ泣いて帰ってしまおうとするうちに、天下の色好み、源の至という人が、これも御葬送を拝みにきた時に、女車と見て、寄って来て色っぽく誘いをかけたりする内に、かの至は蛍を取って、女の車に入れたところ、車の中にいた女は、この蛍のともす灯で顔を見られるかもしれない。蛍の灯を消さないとということで、同乗していた男が詠んだ。

 

棺が出てしまったら、皇女さまとお会いできるのも最後でしょうから、灯の消えた真っ暗な中で、皇女さまのお命はなんと短いことだったかと泣く声をお聞きなさい。

かの至は、こう返した。

とてもあはれなことです。泣いているのが聞こえます。しかし皇女さまの命が亡くなったからといって、人々の心から皇女さまが消えてしまうことがあるでしょうか。そうは私は思いません。そのように、蛍の灯を消したからといって、その方のお顔が見えなくなってしまうことはありませんよ。

天下の色好みの歌としては平凡であった。父だ。なくなった皇女さまのご本意には沿わない至の順の話であった。

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このページは、宝徳 健が2025年11月11日 01:13に書いたブログ記事です。

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