修行じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十一月二十二日 土曜日)2

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,792通目です。

    お天道様、今日もまた苦しみながら十三ヶ条を達成します

第一条/第十三条)真実の瞬間の実践:この年。この月。この日。生涯中にこの一回他のあらず

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

眠くなったらストレッチ体操を5分やる

108歳の誕生日まであと14,893日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない! 

海軍五省(2/5):言動に恥づるなかりしか

(発言や行動に過ちや反省するところはなかったか)

英語版(1/5):The Five Reflections:Were your words and actions consistent with the truth?

経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

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こちらもよかったらご覧ください。

ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントの一つです。


明銭が 経済発展 左右する 通貨が自ら できるありがたさ


<服務の宣誓(自衛隊)>

 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法および法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。⭕️今日書いた記事

22日(土):「暦注⭕️」「修行じじい⭕️IT-BCPDX
23日(日):「暦注」「修行じじい「伊勢物語」
24日(月):「暦注」「修行じじい「ドメイン」
25日(火):「暦注」「修行じじい「伊勢物語」
26日(木):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX
27日(水):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」
28日(金):「暦注」「修行じじい「大東亜戦争」

1.本位制の失敗❽:室町時代の本位制
 では、我が国にまともな貨幣制度がなかった室町時代はどうだったのでしょうか? 実は明銭だったのです。室町時代は、明との交流が盛んに行われました。特に足利義満(以下、義満)の時代がそうです。日本の人々は貿易で得て流通した明銭を貨幣として使っていました。家に明銭を貯蔵までしていました。この明銭が現代でいう貨幣供給量だったのです。明銭本位制ですね。室町時代は応仁の乱が始まるまでは結構平和だったので、明との貿易が盛んで明銭が大量に入ってくると、経済がそこまで成長しようと拡大していきます。雨や嵐で船が出なくなると、その拡大した経済を受け止める明銭がないと国内経済は疲弊します。そして、価値が高くなった明銭は庶民が保存します。ます明銭の流通量が減ります。デフレ経済ですね、

 民の力が落ちた時もそうです。我國国内で明銭の流通量が減りますからデフレになります。つまり、我が国経済は明銭の依存していたのです。本位制以外の何者でもありません。

 平安時代や飛鳥時代はどうだったのかなあ。明日、少し予想してみますね。間違っているかもしれませんが。

鄧小平の「改革開放」:支那共産党の夜明け

 文革の混乱から立ち直るため、鄧小平は「すべては経済建設を中心とする」という揺るぎない方針を打ち出しました。

1. 経済特区(SEZ)の設立

 1980年代初頭、鄧小平は広東省の深圳(しんせん)や珠海(じゅかい)、福建省の厦門(アモイ)など沿岸部に**経済特区(Special Economic Zone, SEZ)を設けました。


 これらの地域では、外国資本の導入市場経済のルールが試験的に認められました。これは、社会主義国でありながら「資本主義の仕組み」を限定的に導入する、非常に大胆な試みでした。


2. 「社会主義市場経済」という独創的な路線

    鄧小平は「猫が黒かろうが白かろうが、鼠を捕るのが良い猫だ」(色々なやり方があっても、結果を出せる方法が良い)という有名な言葉を残し、イデオロギー論争よりも実利(経済発展)を優先する姿勢を示しました。

    彼は「社会主義市場経済」という概念を確立し、支那共産党の一党独裁という社会主義の枠組みは維持しつつ、経済活動に市場原理を導入するという、支那共産党独自の発展モデルを築きました。


3. 「先に豊かになれる者から豊かになれ」

   鄧小平は、地域や個人間の格差が広がることを一時的に容認し、「一部の者が先に豊かになることを許す」ことで、全体的な経済発展を促そうとしました。

       これにより、支那大陸はは世界最大の「世界の工場」へと変貌を遂げ、数十年のうちに数億人規模の貧困からの脱却を実現しましたが、同時に都市と農村の格差貧富の差という新たな社会問題も生み出すことになりました。


歴史から学ぶこと

 私たちがこの時代から学ぶべき最も大きな教訓は、「イデオロギーやスローガンが、個人の尊厳や人権、そして普遍的な倫理を凌駕(りょうが)してはならない」ということです。人間社会のシステムや権力構造を深く理解することで、未来の失敗を防ぐ視点を持つことができるはずです。


 この後、鄧小平が推し進めた経済発展の光と影、あるいは、あなたが特に当時の日本の報道について関心をお持ちであれば、日支関係や当時の日本社会がこの文革をどう見ていたかという側面に焦点をあて次回解説します。金のない支那共産党は必死になって他の国の資金を利用したことは否めません。

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年11月22日 00:20に書いたブログ記事です。

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