修行じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十一月七日 金曜日)3

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,748通目です。

    お天道様、今日もまた苦しみながら十三ヶ条を達成します

第一条)趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

眠くなったらストレッチ体操を5分やる

108歳の誕生日まであと14,908日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない! 


海軍五省(3/5):気力に欠くるなかりしか

気力に欠けることはなかったか?

The Five Reflections:Hast thou not lacked vigor? 

経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

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<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。

7日(金):「暦注⭕️」「修行じじい⭕️「大東亜戦争⭕️」

8日(土):「暦注」「修行じじい」「IT-BCPDX

9日(日):「暦注」「修行じじい」「IT-BCPDX

10日(月):「暦注」「ドメイン」「修行じじい

11日(火):「暦注」「伊勢物語」「修行じじい

12日(水):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」

13日(木):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX

⭕️今日書いた記事

1.アナスタシア❹
 なぜ、アナスタシアが生きていた事件が多く出てき理由からです。諸説ありますが、膨大な遺産相続問題です。顕著だったのが、アンナ・アンダーソンという女性です。彼女自身は昭和四十六年(1971年)に亡くなっているのですが、周りが大騒ぎしたのだと思います。もし、正統な相続人として認められば膨大という金額ではない財産が一気に、名乗り出た人間のものになります。きっとそれを狙って後押しした人間もいるのでしょう。ソ連は、共産主義者のテーゼに則ってロシア内での財産は全部押収しました。テーゼというのは、共産主義者の目的は「世界中の金持ちと国家を潰してその金を奪う」というものだからです。でも、たとえば、ロシア革命以前からロマノフ王朝はスイス銀行などに財産を移してしまっています。その財産は、当時の西側諸国は絶対に渡しません。アンナ・アンダーソンは死亡した時にDNA検査でアナスタシアではないと結果を出していますが、こんな検査結果など、どうにでもなります。

 こんな話をなぜ、書いているか。国際社会は、そして、特に共産主義者がいかに恐ろしいかを知ってもらいたいからです。

 では、次回、そんな噂の元になる、アナシスタをもしかしたら逃したかもしれない人間のことを書きます。
2.紫電改
 西宮市が発行している「宮っ子」という本があります。素晴らしい本で(2ヶ月毎の発刊)読むのを楽しみにしています。私たちの子供の頃はまだまともな先生がたくさにましたので、小学校の社会科の授業で「白地図」というものがありました。地域や国の枠組みだけが書いてある白い地図のことを白地図と言います。その広い地図の中に、国とか地方のいろいろなところに地名やら産物やら歴史やらを書き込んでいくというものです。私は、この白地図が大好きでした。ワクワクしながら書き込んだこと覚えています。また、書き込む情報を自分たちの地域に出かけて行って情報収集をし、その研究成果を発表し合うということも行われていました。


 ところが小学校高学年の時に日教組が「そんなことをしたら愛国心が生まれてしまう」というだけの理由で、とつぜん廃止してしまったのです。

 私は反発しました。「先生! 学校というところは、子供たちに勉強を嫌いにさせるところですか!?」と、先生に何発がビンタを貼られました。こういうビンタなんかには日教組の自分たちが否定する軍隊式が残っていました。「説明もしないで暴力ですか!?」ともいいました。当時は日誌を書くのが義務付けられていましたから、毎日日誌に同じことを書きました。すると病気の母が学校に呼びだれました。私は立ち合いませんでしたが、母は、「学校で健が騒ぎを起こしたことはお詫びします。ですが、健の言っていることには何ら誤りがありません。それに対してお詫びをするのではありません。それだけは申し上げておきます」と言ったみたいです。家に帰ってきてからも母は呼び出された内容については、一切私に話しませんでした。日本男児として過ったことをしていない以上絶対に私を怒ることはしない母でした。父には言ったと思いますが、父も私には何も言いませんでした。中学生になってからもこういうことはしょっちゅうで、その度に母は「日教組のどんぐされ教師(当時の福岡県教職員組合は酷かった)」に呼び出されていました。私は不良ではありませんでしたが、不良の連中とは仲が良かったし、こういうことを度々先生に進言していましたので私の中学生時代の内申書はひどいものでした。

 閑話休題。この「宮っ子」はそんなことを払拭している内容なのです。西宮市の各地の歴史、地域コミュニティ、地域自慢なんから満載。時々この本に書いてあるところを散歩します。「宮っ子11月・12月号」に帝国海軍の戦闘機「紫電改」が載っていました。

 終戦末期に製造された戦闘機です。前身の「紫電」を改造したので「紫電改」です。帝国海軍松山航空隊に配備されました。私の父も帝国海軍松山航空隊の軍人で敗戦末期の日本で米軍の上陸を阻止する役割でした。よく父から話を聞いていました。「健、紫電改という優秀な戦闘機があってなあ。米軍の戦闘機をバッタバッタと撃墜するんだ。源田サーカス(これはまたいずれ)だ」と。

 その紫電改を造っていたのは西宮のそれも私の住んでいる鳴尾だったことが書いてありました。「川西航空機」です。米軍は紫電改が憎くて仕方がありません。鳴尾はかなりの爆撃を受けたみたいです。敗戦後に「ミゼット」という三輪車(自動車)を造った会社です。今ではダイハツに吸収されています。


 あの戦争は、米軍の戦時国際法違反の攻撃の仕方と、山本五十六の官僚指揮がなければ、我が国は負けていませんでした。勝てはしませんでしたが、停戦の折衝はできたはずです。官僚とは怖いですね。我が国最大の利権集団です。自分たちのためには国をも潰します。

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年11月 7日 04:11に書いたブログ記事です。

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