お天道様、今日もまた苦しみながら十三ヶ条を達成します
(第五条/第十三条)生活習慣の定着:みなさんの生活に良い良い習慣が宿るように
私自身がまず良い生活習慣をこの身に宿します。
日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます
仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく
眠くなったらストレッチ体操を5分やる
108歳の誕生日まであと14,903日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない!
海軍五省(3/5):気力に欠くるなかりしか
(物事を成し遂げようとする精神力は十分であったか)
英語版(3/5):The Five Reflections:Have you not lacked vigor?
経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である
https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/
こちらもよかったらご覧ください。
ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。
キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントの一つです。
千年に 浸りて歌を よみいると 千年前が 今蘇る
<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。⭕️今日書いた記事
12日(水):「暦注⭕️」「修行じじい⭕️」「伊勢物語⭕️」
13日(木):「暦注」「修行じじい」「IT-BCP&DX」
14日(金):「暦注」「修行じじい」「大東亜戦争」
15日(土):「暦注」「修行じじい」「IT-BCP&DX」
16日(日):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」
17日(月):「暦注」「修行じじい」「ドメイン」
11日(火):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」
むかし、若き男、けしうはあらぬ女を思ひけり。さかしらする親ありて、思ひもぞつくとて、この女をほかへ追ひやらむとす。さこそいへ、まだ追ひやらず。人の子なれば、まだ心いきほひなかりければ、とどむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふ力なし。さる間に、思ひはいやまさりにまさる。にはかに、親、この女を追ひうつ。男、血の涙を流せども、とどむるよしなし。率ていでていぬ。男、泣く泣くよめる。
いでていなば たれか別れの かたからむ ありしにまさる 今日は悲しも
とよみて絶え入りにけり。親あわてにけり。なほ思ひてこそいひしか、いとかくしもあらじと思ふに、真実(しんじち)に絶え入りにければ、まどひて願立てり。今日のいりあひばかりに絶え入りて、またの日の戌の時ばかりになむ、からうじていきいでたりける。むかしの若人はさるすける物思ひをなむしける。今のおきな、まさにしなむや。
業平は若い時に、身分の高くない女と恋仲になってしまいました。親は猛反対です。親「お前、身分いやしき下女との結婚なんて、とんでもない話だ」。平「でも、とても気立てがいいんです」。親「気立てとかそういう問題ではない。人には身分相応というものがある。あんな女、叩き出してやる」。平「ちょ、待ってください」。親「なんだ。親に養われている分際で、さからうのか。自立もしてないすねかじりのクセに。平「それを言われると辛いです」。などと言っているうちに下女に対する思いは勝りに勝りますが、親はとうとう下女に暇を出してしまいます。業平号泣して、つらい思いをしました。息も絶え絶えになりました。親「あああ、こんなことになるとは!」親は息子の気持ちがそこまでだったかとはじめて悟り、さかんに神仏に祈り続けると、次の日の夕方に息子はかろうじて生き返ったという話です。「昔の若者はこんな情熱にまかせた恋をしたんじゃよ。「今の年寄りには、無理だろうなあ」と最後はしみじみ言ってますが、ここで語っているのが、まさに「若き業平」の年老いた姿だとすると、情熱にみちたラブロマンスが描かれた後、老人になった主人公が出てきて「...そんな昔もあったわい」と語っている、映画のラストシーンのようですね。
昔、若い男が、悪くない女に懸想していた。それに気をまわす親があって、わが子がそんな女に執着するようなことがあっては事だと、この女をよそへ追いやろうとした。そうはいっても、まだ追いやらずにいた。男は親がかりの身なので、まだ親に反抗してふるまう気骨もなく、女を引きとどめる勢いも無い。女も身分賎しき者なので、一人で暮らしていく生活力が無い。そうこうしている間に、二人の気持ちはいや増しに増す。いきなり、親がこの女を追い出した。男は血の涙を流したが、引きとどめようがない。人が女を連れて家を出て行ってしまった。男は泣く泣く詠んだ。
女が自ら出て行くのなら、誰が別れ難く思うだろうか。誰も思わない。無理に引き離されるから別れ難いのだ。女と一緒にいた昔よりも、今日の悲しさはさらに大きいよ。
と詠んで息も絶え絶えになった。親はあわてた。何といっても、わが子のことを思って女を追い出したのだ。まったく、これほどのことはあるまいと思っていたが、ほんとうにわが子は息も絶え絶えなので、親は困惑してしまい神仏に祈った。
その日の日没ごろ前後不覚に陥り、次の日の午後8時ころようやく生き返った。昔の若者は、このような一途な恋患いをしたのだ。今のご老人が、こんなことするだろうか。

コメントする