お天道様、今日もまた苦しみながら十三ヶ条を達成します
(第二条/第十三条)趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。
日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます
仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく
眠くなったらストレッチ体操を5分やる
108歳の誕生日まであと14,891日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない!
海軍五省(3/5):気力に欠くるなかりしか
(物事をなしとげようとする精神力は十分であったか)
英語版(3/5):The Five Reflections:Did I not lack spirit or energy?
経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である
https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/
こちらもよかったらご覧ください。
ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。
キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントの一つです。
六歳の 少女の言葉 整えて 深く探って 強く引き出す
この言葉 人生にても 経営も 万事に通じる 妙諦なりて
六歳 少女が我の 心の師 人生いつも 心に留める
<服務の宣誓(自衛隊)>
<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。⭕️今日書いた記事
1. 衝突による直接的な影響
- 巨大な爆発と地震: 衝突地点では広島型原爆の数十億倍とも言われるエネルギーが放出され、巨大な地震と津波が発生しました。
- 塵と煙の拡散: 衝突により大量の岩石や塵、硫黄化合物などが大気中に巻き上げられ、地球全体を覆い尽くしました。
2. 長期的な環境激変(核の冬)
- 太陽光の遮断: 塵やエアロゾルが太陽光を遮断したことで、地球の気温が急激に低下しました。これは「衝突の冬」または「核の冬」に似た現象を引き起こしました。
- 光合成の停止: 太陽光が届かなくなったことで、植物の光合成が長期間停止しました。これは食物連鎖の最も根幹を断ち切ることを意味します。
· 食物連鎖の崩壊
· 恐竜の時代には、ご指摘の通り、肉食・草食、そして植物(粉炭=石炭化する前の植物体)に至るまで、多様な生態系が築かれていました。しかし、光合成の停止がこの連鎖を一斉に破壊し
( 1) 植物の壊滅
· 植物(生産者)が光合成できなくなったため、多くの植物が枯死しました。
(2) 草食恐竜の餓死
· 植物を主食とする草食恐竜(一次消費者)は、食糧源を失い、巨大な体躯を維持できずに餓死しました。体が大きければ大きいほど、必要なエネルギー量が多く、絶滅しやすかったと考えられます。
(3)肉食恐竜の絶滅
草食恐竜がいなくなったことで、それを食べる肉食恐竜(二次・三次消費者)もまた、食糧源を失い、最終的に絶滅に至りました。すべての生物が滅びたわけではありません。この激変を生き延びた生物には、いくつかの共通の特徴があります。
· 体サイズの小型化: 必要な食糧が少なく、寒さにも比較的強かった小型の動物。
· 雑食性・腐肉食性: 特定の食糧に依存せず、何でも食べる動物。
· 地下や水中に生息: 比較的環境変化の影響を受けにくかった、水辺や地下に潜れる動物。
これらの特徴を持つ生物、特に哺乳類、鳥類(恐竜の直系の子孫)、ワニ、カメなどが生き残り、その後、空席となった生態系のニッチ(地位)を占めることで、新たな進化の時代(新生代)が始まったのです。
つまり、恐竜時代は「植物本位制」だったのです。植物が恐竜が食べる以上に豊富にある時は、恐竜は生存できたのですが、それが叶わなくなったら、一気に破滅してしまいました。これなんかの現象に似ていませんか? 経済における本位制のあり方や現在の世の中における利権手段本位制です。明日はこの解説をします。
鄧小平時代初期の指導者と日中関係
1980年代初頭、鄧小平が最高実力者として「改革開放」を推し進めていた時期、彼の右腕となり、経済と政治の実務を担っていた主要な指導者は、おっしゃる通り胡耀邦(こようほう)と趙紫陽(ちょうしよう)の二人です。私とTJが支那紀行の頃です。
1. 趙紫陽(ちょうしよう)
趙紫陽(Zhao Ziyang, 1919-2005)
- 役割: 主に経済改革を担い、国務院総理(首相に相当)を務めました。後に中国共産党総書記に就任し、改革開放路線の中心的人物となりました。
- 評価: 非常に柔軟で開放的な思考を持ち、市場経済の導入に積極的に取り組みました。彼らの指導のもと、中国の経済は大きな発展を遂げました。
2. 胡耀邦(こようほう)
もう一人の指導者は、胡耀邦(Hu Yaobang, 1915-1989)です。
- 役割: 主に政治改革とイデオロギーの整理を担い、中国共産党総書記(党のトップ)を務めました。
- 評価: 文化大革命の被害者に対する名誉回復(冤罪の解消)に尽力するなど、非常に人望が厚く、「開明的なリーダー」として知られていました。
- 日中関係: 胡耀邦は非常に親日的な指導者としても知られ、日本の政治家や財界との交流を積極的に行いました。
3. 当時の彼らと「親日」
彼らが「親日」的であったという背景には、日本の経済発展の経験を学び、「改革開放」政策の推進に生かしたいという鄧小平指導部の強い意図がありました。当時の中国にとって、日本は技術と資金、そして市場経済のノウハウを持つ重要なパトロンだったのです。ただ、支那大陸ではあり得ないことで「たれれば」になってしまいますが、この頃のシナ大陸リーダーの系列が今も遺っていたら今の日中関係はまた違ったものになっていたでしょう。彼らは結局殺されてしまいます。そう、支那大陸では、支那共産党に限らず、太古から良いことをすると殺されてしまうのです。

コメントする