共産主義 権利は過度に 主張して 義務はあっても みんな守らず
1.古代の本位制:公地公民の時代
前々回からの続きです。公地公民が崩れ始めました。貴族が荘園を作り始めたのです。そうすると小さな荘園という範囲内での経済しかできません。荘園本位制です。経済単位が小さくとして、拡大しようとすると荘園本位制がそれを阻害します。その状態の時に、公地公民の時に取られていた税を同じように取られたら民はたまったものではありません。
高度経済成長がプライマリーバランスに変わった時に、税はどんどん上がりながら、プライマリーバランス本位制を押し付けられたらどれだけ民が苦しいか。結果として、GDPにおける民間消費支出が10%下がり、政府消費支出が10%上昇するという、本位制ならではの失われた30年が始まりました。
とにかく経済に枠を定める本位制というのは絶対にいけないのです。
2.支那紀行と共産主義
昭和五十八年(1983年)二月に親友のTJと二人で支那大陸に旅に出ました。当時の支那共産主義は、日本国内からの個人旅行ビザは認めていませんでした。しかたがなく、格安航空券で香港に飛び香港の中国旅行者に聞くと「No problem」と言われました。ただし三日待てと。香港で三日過ごした後、支那大陸本土行きの列車に乗って、広州に行きました。
それから西安に。今はその西安のことを書いています。二日目は秦の始皇帝の墓である兵馬俑に行きました。西安から乗合バスで1時間半です。バスに乗っていた時、お婆さんが乗ってきたので、席を譲ろうとしました。そうすると周りにいる人間がみんな「なんだこいつ、自分の席を譲って。バカじゃないか」という顔をするのです。
そう、義務はないくせに権利は明確に決まっている支那共産党に育てられた人民には、自分の席を譲るということは自分の権利を放棄するとうことと等しいのです。
バスの窓から見たら家を建てていました。環境変化も枠組みも構造柱も一切なのです。下からレンガをながーくおいて、その上にコンクリートを塗ってまたその上に高くなるまでレンガを積み重ねています。屋根はその上に乗せます。こんなの地震でもきたら一発です。
一昨日、香港で火事がありました。128名の方がお亡くなりになりました。心から哀悼の意を表します。そのニュースを見ていた、かみさんが、「ねえねえ、家事がなかなか消えなかった理由のひとつに足場や枠組みを組むのが全部木だったんだって」と言いました。四十二年前と何も変わっていません。よく支那の経済発展はすごいぞ、昔と違うぞ!という人がいますが、それは一部の金持ちと、無理やり地方政府が作っているハリボテのせいです。あの国がそんなに早く変わるわけがありません。
現在の支那共産党が日本への渡航を禁止したらインバウンドは減ったかもしれませんが、とても街が過ごしやすくなっていることを見てもわかりますよね。支那共産党の手先の橋下徹は、躍起になって高市総理を批判し、支那の擁護をしていますが。維新の会はもう橋下と手を切らないと大変なことになります。
支那紀行を通じてだんだん共産主義が垣間見られるようになった私たちでした。さあ、次回は、秦の始皇帝の墓である兵馬俑です。
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