クメール・ルージュ政権下(1975年~1979年)で行われた蛮行は、この時代、カンボジア国民の100万から200万人とも推定される人々が虐殺や過酷な労働によって命を落としました。 主な蛮行の内容は以下の通りです。市住民の強制移住と集団労働: 原始共産制の実現を目指し、都市住民は農村へ強制的に移住させられ、貨幣経済の廃止された集団農場で過酷な労働を強いられました。
知識層の粛清: 医師、教師、技術者といった知識人や、旧政権の関係者は「資本主義の手先」と見なされ、拷問や処刑の対象となりました。
宗教・文化の否定: 仏教僧侶なども迫害され、寺院は破壊されるなど、伝統的な宗教・文化が徹底的に否定されました。
政治犯収容所での虐殺: 多くの政治犯がS21(トゥオルスレン)国家中央治安本部などの収容所に送られ、拷問の末に処刑されました。これらの処刑場跡地は「キリング・フィールド」として知られています。
飢餓と病気: 劣悪な生活環境、食糧不足、適切な医療(西洋医学は否定された)の欠如により、多くの人々が飢えや病気で亡くなりました。
これらの蛮行は、ポル・ポトを指導者とするクメール・ルージュによる常軌を逸した恐怖支配の下で行われ、カンボジア社会に深い傷を残しました。これらの犯罪に関与した主要な幹部たちは、後にカンボジア特別法廷(ECCC)において裁かれました。そして、そのカンボジアにいまだに麻薬畑と麻薬組織があります。その麻薬の名前を「チャイナホワイト(支那共産党の麻薬)」です。
何かに似ていると思いませんか? そう、毛沢東の文化大革命です。クメール・ルージュは
裁かれました。毛沢東は今でも支那共産党の英雄です。
元々、共産主義革命のプロレタリアート革命というのは、金持ち他国を殺して財産を奪うというものです。だから人を殺すことは正義なんです。そんな厄介な国を我が国は、隣に三つ抱えています。国会ではそのことが論議されないと国家は守れません。
さて、まず第一歩は、日本国憲法「典」の廃止です。なぜなら憲法ではない日本国憲法「典」は実はとても恐ろしい内容です。
❶国民主権:これを定義できる法曹界の方はいますか?政府や国家を転覆して良い権利です。
❷基本的人権の尊重:人を殺してもいい権利です。京アニ事件、安倍晋三暗殺事件。裁判の内容を見ているとあのテロリストたちが生き残る可能性があるのです。
❷平和主義:自分さえよければ他人はどうなっても関係ないと言う似非平和主義です。十三歳の女んの子が他国に攫われても助けようとしません。それは五人の拉致被害者が帰ってきたときに、金正日が日本との戦争を覚悟したのに、日本国民が浮かれてしまったので、金正日は、その後の拉致被害者を返そうとしませんでした。主権者国民の失態ですが、主権者という権利はあっても責任を負っていません。ソ連が崩壊したときに北方領土を取り戻し、樺太と千島まで地図に入れることもできました。でも、主権者国民は何もしませんでした。韓国がデフォルトに陥ったときに泣いて日本に縋ってきました。誰も支援する代わりに竹島を取り戻そうという考えを持っていませんでした。竹島を強姦するうように奪って行った李承晩という最低男を糾弾する声は主権者国民からは上がっていません。
日本国憲法「典」と日本の憲法とは意味が違います。憲法とはその国の歴史・文化・文明・習慣等のことを言います。特に我が国は 世界で唯一神話の世界か歴史が連続した人間社会の奇跡の国です。憲法は明確に存在しています。憲法「典」とは、その憲法を明文化したものです。
地で血を洗う争いて、やっと民族(ethnic)レベルを国家(nation)レベルに引き上げた英国は、憲法「典」を作りませんでした。国家から民族レベルに戻らないように。憲法を守ったのです。それほど民主主義の国民とは恐ろしいことを知っていたので。
本来の意味では、今の日本国憲法「典」は我が国の文化・文明等を表しているとは到底思えません。天才井上毅が日本の歴史をつぶさに調べ上げそして作成した大日本帝国憲法は、憲法「典」としての体裁を整えていました。ただ、政治が官僚化してしまい、その運用があまりにも稚拙でした。
どちらにしてもこの社会主義・共産主義国家にもなりそうな恐ろしい日本国憲法「典」は廃止しなければなりません。健全な国にするぞという決意を主権者国民がもつか、大政奉還するしかないですね。

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