-「観ること」に気づき始めた私たちは次に「視る」という点に気づいた-
多くの国民が、あの時自分たちは「観た」あとに「視た」のだろうか?
もっと何ができたのだろうか? 世界平和のために。
「視る」とは、当事者として未来創造に参加すること
「視る」とは、その未来創造に責任を持つこと
「視なかった」国家は、判断材料を失う。
「視なかった」国家は、ただ流され、そして世界から離れていく。
-私たちは世界の大きな流れを「視る」当事者だったのだろうか-
グレートゲーム後、アフガニスタンは大正8年(1919年)に独立を達成するも、英露間の緩衝地帯としての歴史を引き継ぎ、冷戦期にはソ連の影響下に深く入り込みます。昭和53年(1978年)の革命とソ連侵攻、そして米ソ代理戦争(ムジャーヒディーンとソ連)を経て、絵平成元年(1989年の)ソ連撤退後はターリバーンによるイスラーム原理主義支配(1996年〜:平成8年)へと突入し、9.11テロ以降のアメリカ主導の介入(2001年〜)へと続く、内外の勢力に翻弄され続ける戦乱の歴史を歩みました。
中東は原油や地政学等で常に欧米(今では支那共産党軍も)の身勝手に翻弄され続けました。イスラムは本当は温厚な宗教です。イスラムの今の姿を作ったのはみんな列強です。
独立とソ連への傾斜(1919年〜1970年代)
- 独立達成: 1919年、イギリスとの第3次アフガン戦争後、外交権を回復し独立国となるが、国境線(デュランドライン)問題は残る。
- 中立外交: 第二次世界大戦後、ザヒル・シャー国王の下で中立・非同盟外交を進める。
- ソ連接近: 1960年代以降、隣国パキスタンとの対立から、ソ連(人民民主党)との関係を強化し、軍事・経済援助を受ける。
ソ連侵攻と内戦(1978年〜1990年代初頭)
- 革命とソ連介入: 1978年の人民民主党(PDPA)によるクーデターと急進改革がイスラーム勢力の抵抗を招き、1979年末にソ連が軍事介入。
- ムジャーヒディーンとの戦い: 米国などが支援するイスラームゲリラ(ムジャーヒディーン)との泥沼の戦いが10年続き、ソ連に大きな負担となる。
- ソ連撤退後の混乱: 1989年のソ連撤退後、国内は諸勢力による無政府状態に陥る。
ターリバーン政権と国際介入(1990年代〜)
- ターリバーンの台頭: 1990年代半ば、パキスタン北部で創設された厳格なイスラーム原理主義組織ターリバーンが勢力を拡大。
- カブール制圧と恐怖政治: 1996年、ターリバーンが首都カブールを制圧し、シャリーア(イスラーム法)に基づく統治を開始。
- 9.11以降: 2001年のアメリカ同時多発テロ(9.11)後、ビンラディン容疑者を匿っていたとしてアメリカがアフガニスタンを攻撃、ターリバーン政権は崩壊。
このように、「グレート・ゲーム」後のアフガニスタンは、独立後も大国間の代理戦争の舞台となり、国内の部族・民族対立と相まって、長期にわたる混乱と権力闘争の時代を経験しました。

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