修業じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)師走二十八日 日曜日)2

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  百八歳の誕生日まであと、14,848日です。この日に命を閉じるまで健康でいます。

       見るを経て 観るを知って 高めるは 視るの力で 国を創造

国家は判断しなくなった時に空洞化する

――私たちは「視て」いたのだろうか――


世界の流れは、静かに、しかし確実に変わろうとしていた。
ソ連崩壊後の世界には、次の秩序を担う存在が求められていた。
その期待の中に、日本もまた置かれていた。


その時、
私たち日本人は何を「視て」いたのだろうか。
そして、何を「視て」いなかったのだろうか。

「視る」とは、ただ状況を眺めることではない。

「視る」とは、その流れに身を投じること。

「視る」とは、自らを当事者として位置づけ、責任を引き受けること。

「視る」とは、起こりつつある変化を、自分の問題として引き受けること。
「視る」とは、その先にある結果から、目を逸らさないこと。


「視なかった」国家には、判断基準が生まれない。
「視なかった」国家は、やがて判断そのものができなくなる。


世界がこちらを視ていたその時、
私たちは本当に、世界を「視て」いたのだろうか。

私たちは、世界の変化を「視る」主権者だったのだろうか

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このページは、宝徳 健が2025年12月28日 04:29に書いたブログ記事です。

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