未来日本昔話:再掲49(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)八月九日 土曜日)3

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が、現在10,350通目です。

お天道様、今日も苦しみながら十二箇条を達成します 

 

  ブログシステムがおかしいのでいろいろ工夫してみますので読者の皆様お付き合いくださいね。おばあちゃんと、まさるくんの会話を二回(二日)に分けて短くしてお伝えしてみますね。極力、前置きを書かずに。平成二十二年(2011年)十二月二十二日〜平成二十三年(2012年)三月五日の「未来日本昔話(朝鮮半島の真実)」です。昨日は「日本は朝鮮半島を植民地にしていない」ことを書きました。


 平成二十二年(2011年)十二月二十三日の記事です。修正せずに書きます。

 朝鮮半島のことなのに、なぜ「日本の正しい歴史」なのかですって? 朝鮮半島は一時、日本の国家だったのです。だから、日本史で、台湾も朝鮮も当時のことは日本として教える必要があります。さて、まさる君とおばあちゃんの会話をお楽しみ下さい。

ま「ふあ~~~、よく寝た。おばあちゃん、おはよう」
お「おやおや(笑)、おはよう。お正月だものね。さっ、お雑煮とお節をお食べ」
ま「うん、いただきまーす」
お「さっき、お父さんから電話があって、みんなで後で、こっちに来るって言ってたよ」
ま「へーそうなんだ。おばあちゃん、昨日の続きの話していい?」

お「いいともさ。みんなが来たら出来なくなるから、今のうちに話してね」
ま「李承晩ってひどいやつでね」
お「そうらしいね」
ま「戦後朝鮮半島は三十八度線で南北に分断されたんだけど、大東亜戦争が終結したときには、ひとつの国家として独立していたんだ。「朝鮮人民共和国」という国名もあるんだよ」

お「そうなのかい」
ま「戦争が終わって、日本が朝鮮半島を手放したとき、朝鮮総督府の機能が統一朝鮮の建国につながるはずだったんだ。当時の朝鮮総督府には、呂運亨(ヨウニヨン)という立派な人がいたんだよ。呂運亨は、戦後すぐに朝鮮建国準備委員会を設立して統一国家の建設を目指したんだ。そして、「朝鮮人民共和国」の建国を宣言するんだ」

お「それでどうなったんだい?」
ま「ところが、呂運亨たちが建国宣言を行った翌日に、米軍が朝鮮半島を占領しに上陸して、勝手に軍政を施いて、呂運亨率いる「朝鮮人民共和国」も「朝鮮建国準備委員会」も否定してしまったんだ。(明日に続く)

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年8月 9日 04:38に書いたブログ記事です。

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