亡母の誕生日(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月十二日 木曜日)4

| コメント(0) | トラックバック(0)

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,515通目です

 

お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

108歳の誕生まであと 14,964日:絶対にこの日まで命を閉じない!

 

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

こちらもよかったらご覧ください。

ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントのひとつです。


 今日から七十二候は 白露 次候 鶺鴒鳴ですね。せきれいなくと読みます。せきれいが泣き始める頃です。まだ暑い日が続きますが、日は確実に短くなっていますね。地球温暖化と言っています。確かに人間が気をつけなければならないことはありますが、人間の小賢しい知恵で「温暖化」と言っていいのかしら。大宇宙(お天堂様)は、そんなに弱い物なのかしら。もしかしたらそうなのかもしれませんが、地球温暖化というと儲かる温暖化利得者が世界にたくさんいるのも事実です。あの国連を中心とした国際機関というのも各国の利権のぶつかり合いです。利権団体がたくさん出てきます。良い例がSDG'sです。日本人は真面目なのであんな嘘みたいな政策をすぐに信じてやり始めますが・・・。温暖化でいいのではないですか? SDG'sのあの項目、本当に信じてやっていますか?

 よしんば、SDG'sをやるとしたら世界で神話の世界から唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我國日本こそが持続可能なDSG'sです。それを基準にしたら? 我が皇室を基準にしたら?  だいたい欧米支那ロシアは粗野で野蛮で、いつも人殺しばかりしていました。だから、「持続可能」を叫んだら、その基準にいろんないらんものを引っ付けなくてはならなくなります。そう、誰かが叫べば金になる基準をね。馬鹿馬鹿しい。また、こういうまあいいやということを受け入れてしまったら後々くだらない社会がやってきます。

 だから、日本が真に強い、「ドラえもん型の国」になって、国連の場とかで「我が国だけが続いた」という事実を突きつければいい。そうすると「ドラえもん型の世界平和」がやってきます。そのためには日本がリーダーシップを取れる国になる。抑止としてのみの世界最強の武力を持つ。

 閑話休題。今日は、亡母の誕生日です。昭和七(1932年)九月十二日生まれ。平成七年(1995年)七月十日没 享年六十二歳です。
  母の話はなんどもこのブログで書きました。特に日章丸事件の時のことを。当時の出光興産は二十歳の女の子を一週間拉致する魅力があったのです、

 今だったら大変です。ブラックメディアが大騒ぎします。それに騙される国民も。

 でも、母はあの日章丸事件に関与できたことを死ぬまで誇りにしていました。そう、世界で一番優秀は日本女性は、戦うことを知っていたのです。真岡郵便局で亡くなった女性たちも。姫百合部隊も。それをブラックメディアがひん曲げて報道しているだけです。つまり、ブラックメディアは守っているようで世界一優秀な日本女性のあり方を歪めているのです。

 今日は違うことを書きます。母は、三十歳半ばから病気になりました。最初の医師の診断は「風邪」です。ずっと風邪薬を飲んでもなかなな治りません。大きな病院に行ったら「リウマチ」と診断されました。原因はわかっています。嫁姑の極度のストレスです。それはもう関係者がみんななくなったから許すとして(本当は私は許していないが)、別の観点から書きますね。

 母が病気で一人で出かけることが困難なので、出光の同期の女子社員さんが、我が家まで時々いらしてくれて、昼間の女子会(?笑:飲み会)をやっていたみたいです。私はもう学生・社会人になっていたから。母は楽しそうに後でその女子会の様子を話してくれました。母は汎子(ひろこ)なので、「ぼんちゃん」と呼ばれていました。確かその中に一人Kさんという本社で絶大な権力を握っている方も何度か来られていました。彼女に逆らうと部長でも伝票に印を押してくれません。一説には・・・。まあいいや。私が出光興産に入社が決まった時に母がKさんに「息子が出光に入ったからいじめないでね」と冗談で言ったそうです(知らんけど笑)。そうしたらKさんが爆笑しながら「何よそれ、私は若くて良い男は誰もいじめないわよ。いじめているのは偉い人だけ」と仰ったそうです(知らんけど)。さすがの答えですね。きっとKさんは、社内にできそうになる利権を潰しまくっていたのですね。

 普段は信じられないぐらい優しい母が、私が日本男児としてそぐわないことをした時には、人が変わったように怒りました。

 男の子は最初から男の子ではないのです。だから、男の子は「あなたは男でしょう」と育てないと男の子にならないんです。それを知っている昭和一桁の女性は、男の子を男性にして世に出す使命を果たしました。婦道です。昭和一桁の女性は世の中における自分の戦い方を知っていました。今の女性は世の中の何と戦っているのだろう?

 そして、一桁の女性は、女の子に対しては、黙って自分の生き様をみせることで女性に育てました。

 いつも思っていました。なんであんなにきついことを楽しそうにしてやるんだろうと。

 今の私は、まだ天国で母に合わせる顔がありません。百八歳まで生きる理由です。「たけしtake2」が今の私のニックネームです。つまり、百八歳までの41年間でやりなおせ(take2)です。

母が言ふ 負けてはダメだと いつも言ふ 女性が創った 日本の男
子供の頃 母はいったい いつ寝るか きょうだいみんな その姿観る
おかへりと 素敵な笑顔で 出迎へる 帰れる家の 素晴らしさ感じ

  お母さん、誕生日おめでとう。生きれいれば93歳だね。天国で親父と仲良くやってるかい?

 そっちに行くまであと41年待ってね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10439

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年9月12日 01:37に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「今日の暦注(皇紀 弐千六百八十五年 令和七年(2025 年)九月十一二日 金曜日)3」です。

次のブログ記事は「昔、男ありけり(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月十二日 金曜日)5」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。