超訳 昔、男ありけり:初冠(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月十目日 木曜日)4

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毎朝に 千年前の 友と遊ぶ この喜びは 日本人だけ


 今日の伊勢物語の「初冠」が本当は最初です。芥川とか東国下りがあまりにも有名なので、慣れていただくために最初はそれらを紹介しました。学生時代にインド人でアメリカに留学している学生と話していたことがありました。彼は私に聞きました。「日本の大学の授業は何語でやっているんだ」と。この人何を聞いているんだろうと思って「えっ?日本語だよ」と言いました(もちろん英語で。学生時代は会話ぐらいはできた)。すると彼はびっくりしていました。

 日本には、漢字・かたかな・ひらがな・外来語等があるので、世界中のあらゆる書物が日本語で読めるのです。また、千年前の書物が読めるのです。こんなに幸せな国は日本しかありません。なのにそれに気づいていない人がたくさんいます。確かに今の学校の勉強は(特に歴史は)間違えていることばかりです。嘘を学んで楽しいことなんかありませんよね。でも今の発言は「学校は」です。主語が自分以外になると全て嘘になります。

 こんなに素敵な国に身を置いているのに、その素晴らしさに気づかず、本も読みません。唯一何千年の歴史を持った国なのに、その歴史も学びません。これはなんたることでしょう。

 二十年ぐらい前に、ある伝説の美容室のオーナーに会った時に言われたことです。

本を読まない人は他人をバカにする 本を読む人は自分の小ささを知る

 いいこというなあと思って、220冊/年の読書を20年間やりました。今はもうやっていませんが、今は、そのことの読書で知ったことがどんどん結びついています。若い時はいろいろな欲があるから、ルーティンをやるのが辛かったのですが、今は、楽しくなりました。

 さて初冠の原文です。

むかし、男初冠して、奈良の京春日の里に、しるよしして、狩りに往にけり。 その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。 思ほえず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。 男の、着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。 その男、信夫摺の狩衣をなむ着たりける。

春日野の若紫のすりごろもしのぶの乱れ かぎりしられず

となむ おひつきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。

陸奥のしのぶもぢ 摺り誰ゆゑに乱れそめにし 我ならなくに

といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやき みやびをなむしける。となむ おひつきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。

(宝徳超訳)
  伊勢物語は全125からなり、在原業平(私はそう思っている)が元服を迎えた第一段から、死を予感する125まで、ゆったりと一人の男の人生を一代記という形でたどります。

時は平安京遷都まもない頃。旧都奈良には、まだ都であった頃のはなやかな面影が、そこかしこに残っています。そこへ、元服を終えたばかりの若き貴公子が狩衣をまとって、たずねていき、美しい姉妹を見初めて、歌を贈ります。若々しく、清涼感にあふれ、伊勢物語全体の幕開けとしてふさわしい段です。

 春日の里には現在も鹿が多く歩いていますが、ひょっとしたら業平の横にも、鹿の姿があったかもしれませんね。

作中で引用されているのは河原左大臣源融(822-895)の歌です。源融は京都六条河原のそばに広大な館を築いて風流の限りを尽くしたので河原左大臣といわれます。業平とならび、光源氏のモデルの一人と言われます。

ちなみに源氏物語といえば、主人公光の君が紫の上と出会う場面は、この『伊勢物語』第一段を念頭に置いているようです。垣根の向うから、幼い少女を見初める、有名な場面です。

     春日野の 若紫のすりごろも しのぶの乱れ かぎりしられず

 この若紫が紫式部の源氏物語の5帖から出てくる若紫です。小さい頃から光源氏が育てて大きくなったら奥さんにします。綺麗な歌だなあ。若いときに和歌を知っていたら、好きな人ができた時に、筆で和紙に書いてラブレターを送ったかもしれません。現代語訳はそのままお読みください。他の人が訳したものをそのまま載せています。

 私たちの祖先はこんな素敵な財産を私たちに「遺して」くれました。他国では絶対に味わえない幸せです。書いていて心が洗われます。

今そこに 千年前の心像(イメージ)が 魅せられるかの 幻想の中に
(これは私のへったそな歌です)


(現代語訳)

昔、ある男がいた。元服の儀式として初冠をすませて、奈良の都、春日の里の領有する土地の縁があって、狩をしに行った。その里にとても美しく色香漂う姉妹が住んでいた。男はその姉妹を垣根越しに覗き見た。すると想像していたよりもはるかに美しい姉妹だった。古い都には似つかわしくないほど美しかったので、男は気持ちをかき乱されてしまった。男は着ている狩衣の裾を切って、それに歌を書いて姉妹に送った。男はちょうど、しのぶ摺りの乱れ模様の狩衣を着ていた。

春日野の若紫の摺り衣の、その乱れた模様のように、私はあなた方のためにこんなにも心乱されてしまいました。

男はすかさず、この歌を贈った。(または、「大人びた態度で歌を贈った」)この、歌を贈るなりゆきが男は時機にかなって、趣深いとでも思ったのだろう。

「陸奥のしのぶもぢ 摺り誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」という河原左大臣源融の歌の情緒である。

陸奥のしのぶ摺りの乱れ模様のように、こんなにも心乱されたのは誰のせいでしょうか。それは私自身のせいじゃない。まさにあなたのために、心乱されたんです。

昔の人はこんなふうに、情熱にまかせて風流なことをしたものだ。

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このページは、宝徳 健が2025年9月18日 00:55に書いたブログ記事です。

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