修行じじいのつれづれなるままに(皇紀二千六百八十五 令和七年(2025年)九月二十六日 金曜日)4

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お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

108歳の誕生まであと14,950日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない!

 

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いつもみな 暑いの寒いの 云ふけれど お天道様  いつもどおりに


 昨日はかなり長かったですね。申し訳ございません。亡父と息子の会話はいかがだったでしょうか?再度申し上げます。李氏朝鮮というのは所詮、national(国家)ではなく ethnic(民族)でしかなかったのです。その扱いには世界各国が困っていました。セオドア・ルーズベルトはこの世界の厄介者を日本に押し付けようとしました。それでも日本は長い時間をかけて検討しました。そして、朝鮮半島を日本にした後は、国家予算の二割を毎年注ぎ込んだのです。京城帝国大学などは、大阪帝国大学や名古屋大学よりも早くできたのです。これが植民地ならそんなことはしませんよね。

 では、昨日二番目に書いた柳原愛子(なるこ)さんについて。
  柳原愛子は3人の子供を明治帝との間にもうけますが、成人したのは大正天皇だけなのです。その大正天皇もとてもお身体が弱く早逝されましたが、その前に貞明皇后を迎えます。この皇統の危機を貞明皇后が救いました。大正天皇、秩父宮様、高松宮様をお産みになりました。



 でも、貞明皇后も側室の子でした。

 昭和天皇はそのこともあってか、側室をもうけませんでした。昭和天皇と香淳皇后はとても仲がおよろしかったそうです。

 永い永い皇室の歴史=我が国の歴史の中で、その永い歴史が生んだ知恵「男子排除」は、決して女系天皇を認めませんでした。女性天皇はおられます。しかし、一生独身なのです。そんなことも知らずに愛子天皇などと・・・。愛子さまに、一生独身でいろというのか。おい、讀賣新聞。

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このページは、宝徳 健が2025年9月26日 01:23に書いたブログ記事です。

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