超訳 昔、男ありけり:西の京(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月十九日 金曜日)5

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  けふもまた 千年の歌 あじはひて 千年前の 人にこひする


 今日から西の京というタイトルに入ります。まずは、原文。

むかし、男ありけり。奈良の京ははなれ、この京は人の家まだ定まらざりける時に、西の京に女ありけり。その女、世人にはまされりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それをかのまめ男、うち物語らひて、かへり来て、いかが思ひけむ、時は三月(やよひ)のついたち、雨そほふるにやりける。

おきもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめくらしつ

(次に宝徳超訳)
 平城京を遷都したのは藤原氏の権力闘争とか衛生上の問題とか、物流の問題とかいろいろあったようです。平城京(藤原京)から一度は784年に長岡京に遷都し、794年に平安京に遷都しています。西の京とは平安京を南北に走る朱雀王子から西側のことを言います。東側が先に開けて、西の京が遅れていたようです。初冠と違う男かのように、女性へのアプローチを逡巡しています。面白いですね。

    おきもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめくらしつ

 意味は現代語訳に譲ります。長めとは「ながめ」掛け言葉です。長雨と「眺め」をかけています。小野小町の歌にもありますよね。

花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに

この歌は、儚く散る桜の花の色に自身の美貌の衰えを重ね合わせることで、無常観や老いを表現した小野小町の和歌です。百人一首九番にある歌です。中学の時この歌を国語の先生から学びました。掛け言葉という美しさを初めて知りました。私はまだ掛け言葉を使うレベルにはありません。

思ひのせ こころをのせて ことをみて ことばにのせて こひする乙女へ
(これは拙首です)

(最後に現代語訳)https://ise.kaisetsuvoice.com/002.htmlより

昔、男がいた。奈良の都は遠くなり、この都(平安京)はまだ都としてしっかり機能していない時に、(まだ開けていない)西の京に女があった。その女は、世間の人より優れていた。その人は、容姿ではなく心がすばらしかったのだ。独身ではなく、通う男があったようだ。それを、かの「誠意ある男」が情を通わせて、帰ってきて、どんなに恋しく思ったのであろうか。時は三月一日、雨がしょぼしょぼと降っている時に文を書き送った。

起きているのでもなく、寝るのでもなく夜を明かしました。朝になると春らしい長雨が降っています。私はその長雨を見ながら、ぼんやり物思いにふけって一日を過ごしてしまいましたよ。

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このページは、宝徳 健が2025年9月19日 01:05に書いたブログ記事です。

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