超訳 昔、男ありけり:ひじき藻(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月二十日 土曜日)5

| コメント(0) | トラックバック(0)

平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,553通目です

 

お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

108歳の誕生まであと14,956日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない!

 

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

こちらもよかったらご覧ください。

ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントのひとつです。


  業平と 高子の恋の かけひきは あひだにひじき藻 これをとりもつ(拙首)


 第三段:ひじき藻の原文です。

 むかし、男ありけり。懸想じける女のもとに、ひじき藻といふものをやるとて、

思ひあらば むぐらの宿に 寝もしなむ ひじきものには 袖をしつつも

 二条の后の、まだ帝にも仕うまつりたまはで、ただ人にておはしましける時のことなり。

(宝徳超訳)
 ひじき藻は、あのご飯に乗せると美味しい食べ物です。「えっ、ひじき?!」という方もいらっしゃると思います。でも、京は、海が遠く海産物はとても貴重な贈り物でした。

 私は元々本籍が福井県丹生郡越前町玉川です。祖父が小浜水産高校です。祖父はとてもヤンチャだったみたいです。きた前船を4隻ぐらい持っていたのですが同時に沈んでしまって宝徳家は没落してしまいました。小浜では数年前にお仕事をたくさんいただいていました。そこから京都に行く時に熊川宿で有名な鯖街道があります。小浜から京に極上の海産物を運んでいました。ちなみに小浜には遠敷(おにゅう)という長野東大寺のお水取りにお水送りをするところもあります。

 そんな海産物が千年前も鯖街道から京に送られたと思ったら素敵ですね。

思ひのせた 千年昔の ひじき藻が 今のここにも 思ひを運ぶ(拙首)

 二条の后とは、二条后藤原高子です。藤原長良の娘で、のちに清和天皇(源氏の祖)の女御となり陽成天皇を生みます。こうして藤原氏は外戚となりどんどん権力を伸ばします。そして他の豪族たちを追い落としていきます。在原氏もそのひとつです。いわば敵同士の業平と高子ですが、その恋は燃え上がります。百人一首にも詠まれています。

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなひに 水くくるとは

 ちはやぶるとは神の枕詞です。

 高子への恋心を詠んだ綺麗な歌ですね。

思ひあらば むぐらの宿に 寝もしなむ ひじきものには 袖をしつつも

 今日のこの歌も綺麗ですね。いいなあ、こんな歌を読めたら。


(現代語訳)https://ise.kaisetsuvoice.com/003.htmlより

昔、男がいた。思いをかけている女のもとに、ひじき藻というものを贈るというので、

もし私に愛情がおありなら、荒れさびれた宿に寝もしましょう。ひじき藻のように衣の裾を引き敷いて。

二条后(藤原高子)が、まだ清和天皇にお仕えする前のことで独身でいらっしゃった時のことである。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10479

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年9月20日 01:29に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「修行じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月二十日 土曜日)4」です。

次のブログ記事は「理念・経営目的・コンセプトの威力❺宇佐美(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)九月二十日 土曜日)6」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。