超訳 昔、男ありけり:年にまれなる人(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月三日 金曜日)4

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 今日から伊勢物語は第十七段です。「年にまれなる人」。

 『伊勢物語』は平安時代初期に書かれた我國最古の歌物語です。全百二十一五段からなり、各段は長さも内容もまちまちですが、必ず一段に一首以上、歌があります。和歌の教科書のような物語です。一人の「男」の元服から死の直前までを描く一代記となっていますが、たくさん寄り道しながら、ゆったりと話が進んでいきます。とっても面白いんです。作者は在原業平と言われています(知らんけど)。『源氏物語』で光源氏がヒロイン紫の上を見初めるシーンには『伊勢物語』の影響が強く見えます。そのほか『平家物語』や『更級日記』、松尾芭蕉の『おくのほそ道』など、『伊勢物語』は多くの作品に影響を与えています。お楽しみください。
 まずは十七段原文です。

年ごろおとづれざりける人の、桜のさかりに見に来たりければ、あるじ、

あだなりと 名にこそ立てれ 桜花 年にまれなる 人も待ちけり

返し、

今日来ずは 明日は雪とぞ ふりなまし 消えずはありとも 花と見ましや

(宝徳超訳)
   この十七段はこの歌と返歌を学ぶだけでかなり勉強になりますね。百人一首に土佐日記の著者 紀貫之(きのつらゆき)の歌があります。

人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

 何年かの無沙汰の後、紀貫之がその宿を久しぶりに訪ねると、宿の主人は「ずいぶん来てくれませんでしたね」そんなことを言います。それに対して貫之は梅の花に添えて贈ったのが、この歌です。この『伊勢物語』第17段と同じ話です。いかに伊勢物語が他の作品に影響を与えているかがわかります。

(現代語訳)

長い間訪れなかった人が桜の盛りに見に来たので、宿の主人が詠んだ

この桜は移り気ですぐに散ってしまうと評判ですが、一年のうちめったに訪れない貴方を待っておりました。

返し、

今日来なくては、桜は明日には雪のように散ってしまうでしょう。散り敷いた花びらがたとえ消えないでいても、それは残った雪と同じこと。それを桜と見れるでしょうか。見れません。

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このページは、宝徳 健が2025年10月 3日 01:05に書いたブログ記事です。

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