超訳 昔、男ありけり:天雲のよそ(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月五日 日曜日)4

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めう(絶妙)なりて 風はやみなり 言霊が さきはひかはす ふみのおもひを


   今日から伊勢物語は十九段「天風のよそ」です。さてさて、今日は・・・。まずは原文です。

むかし、男、宮仕へしける女の方に、御達なりける人をあひしりたりける、ほどもなく離(か)れにけり。同じ所なれば、女の目には見ゆるものから、男は、あるものかとも思ひたらず。女、

天雲(あまぐも)の よそにも人の なりゆくか さすがに目には 見ゆるものから

とよめりければ、男、返し、

天雲の よそにのみして ふることは わがゐる山の 風はやみなり

とよめりけるは、また男ある人となむいひける。

(宝徳超訳)
 内容はともかく、これは上手な和歌ですね〜。要は業平と宮仕えしている女との痴話喧嘩です。何があったのかわかりませんが、業平と女が喧嘩して、かつての恋は冷めてしまいました、業平にはとうに女に気持ちがありません。「男が宮仕減している時」なので二人は顔は合わせます。そこで女が業平に、やっぱりあなたは私から離れていくのねと歌を贈ります。すると業平は「私があなたのところに留まろうとしても風が邪魔するではないですか」と返歌を贈るのです。

 ここなんですね。この短い物語のポイントは。「風」という言葉です。「風」の使い方が絶妙です。風の正体は、「他の男」です。

 業平は「他に男がいる奴に興味なんてあるかい」と返しました。歌の内容はともかく歌の作り方が絶妙。

 意味は違いますが、百人一首で初めて覚えて歌は、僧正遍昭の

 

あまつ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ


 です。いつだったっけなあ。小学生? 中学生? 「昔の人は目の前にいるきれいな人を見たらそれを天の風 天の雲 天女に見立てて和歌を詠むことができるんだ!なんて感性だ」。と思ったのを今でも覚えています。

 伊勢物語を読むと千年前の日本人と私たち今の日本人の生活行動はほんの少しの違いありません。だけど人間の情緒だけは天と地ほどの差があります。そして、それを知ることができるもの「千年前」が「遺って」いる我が日本だけなのです。我が国において読書をしないのは勿体無いという言葉だけでは片付けられません。

あなうれし 今知れる 千年前の 感性を 日本に生まれ 身に染み思ふ

(現代語訳)

昔、男が宮仕えしている時、同じ主人に女房として仕えている女と親しく情を通わせていたが、ほどなく疎遠になってしまった。同じ宮中なので、女の目には男の姿が目につくのだが、女のことなど眼中にない。女、

貴方は空の雲のようにはるかに私から離れていくのですね。やはり私の目には貴方の姿が見えますのに。

と詠んだ所、男の返し、

私が空の雲のように貴女からはるかに離れていくのは、私が留まるべき山(貴女)は風が早いので近づけないからです。

男がこう詠んだのは、女は他に男がいたためだと人は噂していた。

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このページは、宝徳 健が2025年10月 5日 00:41に書いたブログ記事です。

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