超訳 昔、男ありけり:楓のもみぢ(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月六日 月曜日)4

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ああをかし 男と女が せめぎあふ 一つの恋かけ 思ひもかけて


 伊勢物語は二十段「楓のもみぢ」です。業平が振られます。女性の見事な和歌で。まずは原文から。


むかし、男、大和にある女を見て、よばひてあひにけり。さてほどへて、宮仕へする人なりければ、かへり来る道に、三月(やよひ)ばかりに、かへでのもみぢのいとおもしろきを折りて、女のもとに、道よりいひやる。

君がため 手折れる枝は 春ながら かくこそ秋の もみぢしにけれ

とてやりたりければ、返りごとは京に来着きてなむもて来たりける。

いつのまに うつろふ色の つきぬらむ 君が里には 春なかるらし

(宝徳超訳)
  ねっ!? 絶妙でしょ? 怒っているのか別れたいのか本当は未練たらたらなのかがわかりません。私ならこんな和歌を若い時にもらっていたら女性のところに飛んでいきます。彼女いなかったけど😭。

 でも、うまいなあ。女性のこと歌が殊の外。

いつのまに うつろふ色の つきぬらむ 君が里には 春なかるらし

 一体いつのことを言っているの?なのでしょうね。

 和歌における「うつろふ(移ろふ)」は、物の色が移り変わることと、人の子心が変化することの両方を表すことばです。具体的には、秋の木の葉が紅葉して色づくような美しい変化だけでなく、恋心や友情が色あせてしまうような好ましくない変化、さらには人の心自体が変わりやすいことを嘆く意味合いで使われます。

 例えば、私の彼女の一人、小野小町は、古今和歌集の中で、

色見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける
花が色づいてから散っていくように見た目にはわからなくても心が変わっていくのが人よ

と詠んでいます。平安時代の人の和歌はこの無常を詠むのが大好きです。こういう感覚が今の私たちにないんですよね。

 和歌ではありませんが、吉田兼好は徒然草の中で「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に」と人の心がいかに変わりやすいかを嘆いています。

 なるほど。「うつろふ」か。和歌上達のキーワードの一つですね。


(現代語訳)

昔、男が大和に住む女に会って、求婚して情を通わせた。さてしばらくして、男は宮仕えする人であったので、都(平安京)へ戻る道に、三月ごろ、楓が紅葉してたいそう綺麗なのを折って、女のもとに、旅先の道から歌を贈った。

貴女のために手折った枝は春ですのに、このように秋の紅葉のように真っ赤に紅葉しています。私の貴女への想いによって。

と歌を贈ったところ、返事は京に到着してから届いた。

いつのまに紅葉の色がうつりかわったのでしょう。いつのまにあなたは心変わりしたのでしょう。あなたの住む里には、春はなくて秋ばっかりなんでしょうね。そんなふうに、私にも飽きてしまったのですわ。

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このページは、宝徳 健が2025年10月 6日 01:10に書いたブログ記事です。

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