超訳 昔、男ありけり:おのが世々(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月七日 火曜日)4

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 伊勢物語は第二十一段「おのが世々」です。まずは原文。

むかし、男女、いとかしこく思ひかはして、こと心なかりけり。さるを、いかなることかありけむ、いささかなることにつけて、世の中を憂しと思ひて、いでていなむと思ひて、かかる歌をなむよみて、物に書きつけける。

いでていなば 心かるしと いひやせむ 世のありさまを 人はしらねば

とよみ置きて、いでていにけり。この女、かく書き置きたるを、けしう、心置くべきこともおぼえぬを、なにによりてか、かからむと、いといたう泣きて、いづかたに求めゆかむと、門にいでて、と見かう見、見けれど、いづこをはかりともおぼえざりければ、かへり入りて、

思ふかひ なき世なりけり 年月を あだにに契りて われやすまひし

といひてながめをり。

人はいさ 思ひやすらむ 玉かづら おもかげにのみ いとど見えつつ

この女、いと久しくありて、念じわびてにやありけむ、いひおこせたる。

 いまはとて 忘るる草の たねをだに 人の心にまかせずもがな

返し、

忘れ草 植うとだに聞く ものならば 思ひけりとは しりもしなまし

またまた、ありしよりけにいひかはして、男、

忘るらむと 思ふ心の うたがひに ありしよりけに ものぞ悲しき

返し、

中空に たちゐる雲の あともなく 身のはかなくも なりにけるかな

とはいひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。

(宝徳超訳)
   いつも仲が良かったカップルがつまらないことで喧嘩して、その後寂しくなって前より仲良くなったのに、お互いに恋人ができるとそんなことはまるっきり忘れてしまった。という話です。まあ、他に恋人はできませんが、夫婦喧嘩もそうですね。喧嘩のネタは本当につまらないですね。でも、いつの間にか仲直りしているのも夫婦です。不思議な存在です。まあ、今日の跳躍はこの辺にしておきましょう。

(現代語訳)

昔、男と女がそれはもうたいへん仲むつまじく、浮気をするなんて考えられないことだった。それを、何があったのだろうか、ちょっとしたきっかけで、お互いの関係をつまらないものに思って、女は出て行こうと思って、このような歌を詠んで、物に書きつけたのだった。

私がここを出て行ったら、世間の人は私を情の無い女と言うでしょうね。私たちの関係を知らないからそんなこと言うんですよ。

と読み置いて、出て行ってしまった。この女、このように書き置いたことを、男は妙なことに思った。自分に対して女が隔て心を抱く心当たりも無いが、どうしてこのように出て行ったのかと、すごく泣いて、どこに女を訪ねていこうかと表に出て、あちらを見たり、こちらを見たり、探したが、どこに見当をつけて探せばいいのかもわからず、家に帰ってきて、

相手をこんなに思っていても男女の仲はどうにもならないのだなあ。長年、無駄に契り過ごしてしまったのだろうか。

と言って、ぼんやり物思いに暮れていた。

あの女はさあ...私を思うこともあるだろうか。あの女の姿は今は幻の中にのみありありと見えている。

この女、たいへん長い時間がたった後、つらい気持ちをこらえきれなくなったのだろうか、歌を詠んでよこした。

「今はもうお前のことを忘れた」とあなたが言う、その忘れ草の種さえ、あなたの心に蒔かせたくないのです。(私のことを忘れてほしくない)

返しの歌、

私は忘れ草を植えて貴女を忘れようとしているのです。せめて貴女がそれをお聞きになるなら、私が貴女を真実思っていたことが、お分かりになるでしょう。

またまた、二人は以前一緒にいた頃よりもいっそう語らいあって、男が詠んだ

私が貴女のことを忘れただろうと、貴女は心に疑いを抱いている。それが、以前よりもずっと悲しいのです。

と詠むと、女の返し、

空の中ほどに立っている雲が跡形もなく消えてしまうように、私の身もはかなくなってしまいました。

とは言ったものの、それぞれ恋人ができてみれば、疎遠になってしまった。

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このページは、宝徳 健が2025年10月 7日 00:59に書いたブログ記事です。

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