超訳 昔、男ありけり:逢はで寝る夢(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月十一日 土曜日)4

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 伊勢物語は第二十五段「逢はで夜寝る」です。まずは原文です。

むかし、男ありけり。あはじともいはざりける女の、さすがなりけるがもとに、いひやりける。

秋の野に ささわけし朝の 袖よりも あはで寝る夜ぞ ひちまさりける

色好みなる女、返し、

みるめなき わが身をうらと しらねばや 離れなで海人の足たゆく来る

(宝徳超訳)
行く水に 数かくよりも はかなきは 思わぬ人を 思ふなりけり
宵宵にに君が 君をあはれと 思ひつつ  人にはいはで 音をのみぞ泣く
君だにも 思ひ出ける 宵々を 待つはいかなる ここちかはする
蚊遺火は 物思ふ人の 心かも 夏の夜すが 下に燃えゆらん

古今和歌集の歌です。仕事も運としながら恋にも情熱をかける。でも、現代と変わらず「私と仕事、どっちだ大切なの?」と聞く女がいる。それでいいじゃないですか。それを歪めてジェンダーを認めてないというアホな輩がいる。それも、欧米に。いつも不思議に思っているのですが、彼女たちはキリスト教でありながら、聖書も読んでいないのだろうか? ソドムとゴモラの話では、同性愛等が主流になり、そんな世の中は一度破壊すると神が言って、その血を燃やしてしまいます。私は一神教など好きでもないし、自分だったら一神教のような窮屈な世界には暮らしたくないなあ、と、思います。一方で、欧米の人間は、神に律されないと生きていけない人たちです。

  「素敵」という女性の言葉だけで、安易に教会式の結婚式をやる。「神に誓いますか」と、神父さんがいう。「はい」と答える二人。私はこの結婚式を見たときに「えっ」と思いました。「俺なら神に誓わないで自分が結婚する人に誓いたいなあ」って。欧米の文化は神に決めてもらわないと自分たちだけでは判断できないのです。
 
  なら、平安のこの男女に対する情熱は、欧米に勝っていますよね。

  伊勢物語の和歌のやりとりは今の恋の上をいっていませんか? 少なくともマッチングアプリより笑。

  業平と小野小町を仮定して書いている今回の伊勢物語を見ながらそんなことを考えました。


(現代語訳)

昔、男がいた。「貴方には会いません」とは言わないものの、そうはいっても言い寄るとはぐらかしてしまう女のもとに、歌を書き送った。

秋の野に笹を分けて帰ってきた朝の袖よりも、貴女にお会いできないで一人寝する夜のほうが、涙にぐっしょり濡れています。

色好みである女の返し、

何の見所も無い私をつまらないものと知らないで、貴方は私から離れもせず、疲れた足をひきずって私のもとに通ってくるのですね。ご苦労なことです

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このページは、宝徳 健が2025年10月11日 01:02に書いたブログ記事です。

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