超訳 昔、男ありけり:たらひの影(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月十三日 月曜日)4

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コミカルな リズムが宿る 業平の 人生そこに 女がありて


『伊勢物語』は平安時代初期に書かれた作者未詳の歌物語です。全125段からなり、各段は長さも内容もまちまちですが、必ず一段に一首以上、歌があります。全体で一人の「男」の元服から死の直前までを描く一代記となっていますが、必ずしも一本の筋があるのではなく、あちこちへ寄り道しながら、ゆったりと話が進んでいきます。この一人の男が物語を語っているので、「昔、男ありける」です。その男は在原業平です。業平の恋愛、友情、親子の情、旅情など、バラエティに富んだ人生です。青年期から壮年~老年期にかけて、それぞれの年齢での実感のこもった歌が詠まれます。絶妙な歌が。

 今日は、第二十七段 「たらひの影」です。まずは原文から。

むかし、男、女のもとに一夜いきて、またもいかずなりにければ、女の、手洗ふ所に、貫簀(ぬきす)をうちやりて、たらひのかげに見えけるを、みづから、

わればかり もの思ふ人は またもあらじと 思へば水の 下にもありけり

とよむを、来ざりける男、たち聞きて、

みなくちに われや見ゆらむ かはづさへ 水の下にて もろ声に鳴く

(宝徳超訳)
   まあ、言い訳が上手い業平ですね。でも、こんなとるにたらないことでも、平安の人は全身全霊で読んでいます。
 
和歌が日本人に定着したのは、「自然観」「コミュニケーションツール」「文化的な教養」としての側面が、日本の風土や社会に深く根差したためです。『万葉集』から始まる歴史の中で、歌は公的な儀式や自然への感動を表現する手段となり、特に平安時代以降は恋や人間関係における重要なコミュニケーション方法、洗練された教養として発展しました。

 
 普段のコミュニケーションで歌を使うというのは情緒深い我國ぐらいではないでしょうか? なぜ、これが教育科目にないのか。悲しいことです。

(現代語訳)

昔、男が、女のもとに一晩だけ行って、それっきり通わなくなったので、女は手洗い所に盥(たらひ)の上に本来かぶせる貫簀(ぬきす)を取り除いていたので、自分の顔が盥の水面に見えたのを、自ら歌を詠んだ。

私ほど物思いに沈んでいる人は他にいないと思っていたら、水の下にもいた。

と詠んだのを、その来なくなった男が立ち聞きしていて、

盥の水口に私の姿が現れたのでしょう。田の蛙さえ、水の下で声をあわせて鳴くではありませんか。そんなふうに、私も貴女といっしょに泣いているのですよ。

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このページは、宝徳 健が2025年10月13日 00:47に書いたブログ記事です。

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