超訳 昔、男ありけり:あふごかたみ(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月十四日 火曜日)4

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 さあ、今日の伊勢物語は、第二十八段「あふごかたみ」です。まずは原文から。

むかし、色好みなりける女、いでていにければ、

などてかく あふごかたみに なりにけむ 水もらさじと むすびしものを

(宝徳超訳)

女が出て行って、男が詠んだ失恋の歌です。『伊勢物語』では女がしょっちゅう、なんの説明もなく出て行きますが、ここでは「色好みの女」とあるので浮気したのかもしれません。

「あふごかたみ」は「会うことが難しい」という意味と、「筐(かたみ)」をかけます。「筐」とは竹で編んだ箱です。

そこに水を流したらジャアジャア漏れます。水も漏らすまいと夫婦生活をしてきたのに、実際には竹の箱に水を注ぐように、漏れっぱなしだったんだなあ、どうしてこんなに会うことが難しくなったんだろうという意味です。

(現代語訳)

昔、色恋が好きな女が、男のもとを去ってしまったので、男が詠んだ。

どうしてこんなにも逢うことが難しいのだろう。水ももらさない仲でいようと約束しあっていたのに。

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このページは、宝徳 健が2025年10月14日 00:55に書いたブログ記事です。

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