超訳 昔、男ありけり:よしや草花を(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月十八日 土曜日)2

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 伊勢物語は、三十一段「よしや草花を」です。まずは原文から。


むかし、宮のうちにて、ある御達の局の前を渡りけるに、なにのあたにか思ひけむ、「よしや草葉よならむさが見む」といふ。男、

つみもなき 人をうけへば 忘れ草 おのが上にぞ 生ふといふなる

といふを、ねたむ女もありけり。

(宝徳超訳)
  なんか恨みって生きていてきついですよね。お互いに。「あた」とは自分に危害を加える者です。言葉もキツくなります。せっかくの言霊の幸はふ国なのに。「草葉」を受けていうのも。人に忘れられる、捨てられること。でも和歌で返すと面白い。

どの歌集かは忘れましたが

忘れ行く つらさはいかに いのちあらば よしや草葉よ ならむさがみむ

の呪いの歌を真似ていますが。なんか恨み!!!っていうことはないですものね。


(現代語訳)

昔、宮中である男が上臈の女房の局の前を通っていったところ、男を自分の敵とでも思ったのだろうか、「まあいい、お前の草葉がしまいにどんな本性を見せるか、見届けてあげましょう」という。男は、

罪もない人を呪えば、忘れ草が自分の頭の上に生えてくるといいますよ(=人に忘れられますよ)。

と歌を詠んだのを聞いて、妬ましく思う女もいた。

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このページは、宝徳 健が2025年10月18日 00:22に書いたブログ記事です。

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