超訳 昔、男ありけり:倭文の苧環(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十月十九日 日曜日)2

| コメント(0) | トラックバック(0)
平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,697通目です。

             お天道様、今日も苦しみを楽しみに変えながら十三ヶ条を達成します
(第一条)二、趣意説明の原則:支援の目的を明確に説明します。

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

眠くなったらストレッチ体操を5分やる

108歳の誕生まであと14,927日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない!

 

https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

こちらもよかったらご覧ください。

ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントのひとつです。


 我が国は、あらゆる国の書物が日本語で読める稀有な国です。

 我が国は、千年前の物語や歌が読める稀有な国です。

 そんな国に生まれているのはなんと幸せなことなんでしょう。この幸せを味合わない手はありません。

すべからく 古今東西 日本語で 読める幸せ 常に味合ふ
平安の 歌物語が 鎌倉の 静御前に 再び生きて

伊勢物語は、第三十二段「倭文の苧環(おだまき)です。まずは原文から。

むかし、ものいひける女に、年ごろありて、

いにしへの しづのをだまき くりかへし 昔を今に なすよしもがな

といへりけれど、なにとも思はずやありけむ。

(宝徳超訳)
 源義経が家臣たちと京から逃げて奥州藤原氏のところに行く時、吉野山でかなりの難路に差し掛かります。泣く泣く愛する静御前を置いていきます。その後、静御前は頼朝方に捕まって鎌倉に連れて行かれます。その時、静御前のお腹には義経の子が・・・。

  鎌倉で頼朝・北条政子・家臣たちの前に引っ張りだされた静御前は命令されます。何か踊れと。静御前は白拍子でもありました。

 静御前は、頼朝と北条政子等の目の前で舞いながら和歌を詠みます。

吉野山 峰の白雪 ふみ分けて 入りし人の 跡ぞ恋しき
吉野山の峰の白雪を踏み分けて、奥へ入って行った(源義経)の足跡が恋しいことよ)

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

    (静よ静、静が苧環(おだまき)を繰り返し繰るように、どうか昔を今に戻す方法があったらなあ)



 2005年に放送された大河ドラマ『義経』のなかのワンシーンです。まだ10代だった石原さとみさんが、息を呑むような舞と歌を演じました。彼女が演じた静御前は、本当に美しくて可憐でありながら、義経への一途な想いを秘めた力強い女性として、心に遺っいます。特に、圧巻でした。 あの場面は、単に美しい舞だけでなく、一歩間違えれば命に関わる状況の中で、愛する人への想いを貫く静御前の覚悟が伝わってくる、名シーンです。彼女は美しいだけではなく、女優としても素晴らしいですね。

 このドラマはよく覚えています。稲森いずみさんが義経を鞍馬山の寺に置いていくシーンの「本日ただ今より母はなきものと思いなされ」と言うシーンもすごかった。石原さとみさんも稲森いずみさんも大ファンです。

 今回の伊勢物語で倭文の苧環(しずのおだまき)という言葉が出てきます。「いにしへの」は「しづ」を導く枕詞です。「しづ」は古代の織物です。横糸を青・赤に染め縞模様を織り成したもの。「をだまき」は、糸を丸く巻いたもので糸を「繰る」ことから次の「くりかへし」を導びいています。この歌は後世しばしば引用されました。先の静御前のシーンは『義経記』に書いてある物です。平安時代が鎌倉時代の静御前に繋がりました。和歌は素敵ですね。


(現代語訳)

昔、男がかつて関係していた女に、しばらく年月が経ってから、

織物を織るために糸を繰るように、貴女とやり直す手立てがあればよいのだがなあ。

と歌を書き送ったが、女は男のことをどうとも思っていなかったようだ。返事は無かった。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/10625

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年10月19日 01:15に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「今日の暦注(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025 年)十月十九日 日曜日)」です。

次のブログ記事は「修行じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五日 令和七年(2025年)十月十九日 日曜日)3」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。