修行じじいのつれづれなるままに(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)十一月十六日 日曜日)2

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平成十七年(2005年)九月二十日に開始したブログの累計記事が現在10,774通目です。

    お天道様、今日もまた苦しみながら十三ヶ条を達成します

第九条/第十三条)期待力の原則:共感力の原則:私の触媒としての存在がみなさんの共感力となります。

新たなスタートへの起点力になることを誓います。

日中に精神が弛緩したらもう一度「般若心経」「教育勅語」「大祓詞」を読みます

仕事時間が少し空いた時のために10分間でできる仕事をいくつか設定しておく

眠くなったらストレッチ体操を5分やる

108歳の誕生日まであと14,899日:絶対にこの日まで健康で命を閉じない! 


海軍五省(2/5):言動に恥づるなかりしか

(誠実さや真心、人の道に背くことはなかったか)

英語版(5/5):The Five Reflections:Have you not been lacking in sincerity?

経営コンサルタントは成長の触媒であり習慣の鏡である

 https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/

こちらもよかったらご覧ください。

ひとつ前の弊社ドメイン(事業領域)のリスクマネジメントです。

キャッシュフローマネジメントはリスクマネジメントの一つです。


家計簿と マクロ経済 混同し 国家弱める 愚かな官僚 


<服務の宣誓(自衛隊)>

 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法および法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

<この先一週間のブログ予定>お好きな記事をお読みくださいね。⭕️今日書いた記事

16日(日):「暦注⭕️」「修行じじい⭕️「伊勢物語⭕️」

17日(月):「暦注」「修行じじい「ドメイン」

18日(火):「暦注」「修行じじい「伊勢物語」

19日(木):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX

20日(水):「暦注」「修行じじい」「伊勢物語」
21日(金):「暦注」「修行じじい「大東亜戦争」
22日(土):「暦注」「修行じじいIT-BCPDX

1.本位制の失敗❸
 岸田と石破はただ単に総理になりたくてなりました。国家観など何もありません。江戸時代にもいたのです。そんな奴が。松平定信(以下、定信)です。とにかく田沼意次(以下、意次)の優秀さが憎く、また、自分が将軍いなりたいのが叶わず、意次に対していろいろな陰謀を企てました。そして、意次親子を失脚させました。自分が老中になってからは、相変わらずの米本位と緊縮財政です。これを嫌った将軍家斉が、景気刺激策をやり華やかな文化・文政期を迎えています。ただ、家斉は、田中角栄のように、インフレ時にインフレ政策をやったので、狂乱物価を産んでしまいました。

 また、この定信の停滞期、家斉の安心期がなかったら、明治維新は少し遅れていたかもしれません。ねっ、みんな歴史を学ばないからおんなじミスをしているでしょう?
2.愚かなる文化大革命
 文化大革命が起こったときは、私は十三歳でしたし、支那共産党を恐れて日本のメディアは何も正しいことを報道しませんでした。なので、この頃のことは正確には把握していません。

  四人組(また後日詳しく書きます)、が罰せられる時からいろいろ情報が入ってきました。高校から大学に進学する頃です。小さい子が人民服を着て大きな大人を引き摺り回したり、自分の親を支那共産党に売って、その娘が、英雄としてパレードをしていたり、樽の上に乗せられて自分で自分のことを批判して、間笑に人間が「そんなん事では反省したことにならない」と槍玉に挙げられたり(これを共産主義の自己批判と言います)、知識階級の人間が首から「私は豚です」と首から看板を下げて支柱引き摺り回されていたりしていました。平和な日本で育った私には、ものすごくショッキングな世界でした。

 その辺を少しだけ詳しく見ていきます。
 

(1)子供たちの部隊と密告・自己批判

❶紅衛兵(こうえいへい)の暴走

 紅衛兵は、毛沢東の指示のもと、旧思想・旧文化・旧風俗・旧習慣(「四旧」)を打破し、「走資派」を批判するために組織された、主に中学生・高校生・大学生を中心とする青少年の部隊です。

  • 暴力と破壊: 彼らは「造反有理(ぞうはんゆうり)」(反逆には理由がある)をスローガンに掲げ、教師、知識人、党幹部など、旧体制の権威と見なした人々を公の場で引きずり出し、激しい吊し上げ(集団での暴力的批判)を行いました。
  • 文化財の破壊: 寺院、歴史的建造物、美術品、古典籍など、膨大な数の貴重な文化財が「四旧」として破壊されました。

❷密告と人間関係の崩壊

 文化大革命の期間中、毛沢東への絶対的な忠誠が求められた結果、人々は恐怖と疑心暗鬼に陥りました。

  • 親子の密告: 特に凄惨な事例として、紅衛兵となった子供が自分の親を「走資派」や「反革命」として密告し、その結果、親が投獄されたり、銃殺刑に処されたりする事件が数多く発生しました。家族や隣人、友人といった人間関係の根幹が、政治的忠誠心によって破壊されました。

❸ 自己批判(自己検討)

 批判の対象とされた人々は、自らの思想や過去の行いが毛沢東思想に反していたと公の場で認めさせられる自己批判(または自己検討)を強要されました。

  • これはしばしば、集団的な暴力と罵倒(ばとう)の中で行われ、人々は自己の尊厳を完全に打ち砕かれることを強いられました。これは、思想の「誤り」を認め、毛沢東の指導の正しさを再確認させるための、心理的な拷問とも言えるものでした。

(2)下放(かほう):知識人・青少年の強制移送

 下放とは、都市部の知識人や幹部、そして紅衛兵運動を終えた若者を、農村や辺境地帯に送り込み、肉体労働に従事させることです。


❶上山下郷運動(じょうさんかきょううんどう)

 特に1968年以降に大規模に行われた青少年に対する下放を「上山下郷運動」(山に登り、郷村に下る運動)と呼びます。

  • 目的: 表面上は「知識青年が貧しい農民から再教育を受け、都市と農村の格差を解消する」ためとされました。しかし実際には、統制を失った紅衛兵を都市から追放し、都市部の失業問題を解決するといった政治的な目的もありました。
  • 影響: 都市で教育を受けた若者たちは、十分な設備も知識もないまま過酷な農村での労働を強いられ、キャリアと青春を失いました。大学教授や医師などの知識人も同様に農村に送られ、専門とは無関係の肉体労働に従事させられ、国家の教育・研究システムに深刻な打撃を与えました。

 これらの出来事は、権力の暴走がいかに非人道的な結果を招くか、そして社会の常識や倫理観をいかに容易に破壊するかを、私たちに教えてくれます。

この後、毛沢東の死(1976年)四人組の逮捕、そして鄧小平の復権へと続く、文化大革命の終結と中国の新しい時代へと向かっていきます。


 人間とはなんのために生きているのでしょうか? それぞれの人間が自分の使命を果たしながら幸せになることは、支那の古典にちゃんと「一隅を照らす」と書いてあります。それに見向きもしないどころか、平気で自国民を殺す支那共産党というのは、絶対い信じられません。許すことができません。スターリン時代のソ連もそうでした。


 でも、人間というのは、貧しいなりにも毎日何かを食べて生きていければ、その政権を非難しなくなります。怖いですね。(つづく)

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このページは、宝徳 健が2025年11月16日 01:50に書いたブログ記事です。

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